歌津小太郎こぶ巻ファンド ファンドニュース

被災地からのレポート2015年8月4日 14:58

『歌津うんめぇもの研究会』始動!



”歌津小太郎 こぶ巻ファンド”の有限会社橋本水産食品の千葉孝浩です。今回は、本当は7月上旬にすぐにでもご報告したかった私たちの地域・南三陸町歌津地区の話題を遅ればせながらご報告させて下さい。(ただいまお中元商戦の終盤で、なかなかパソコンに向かう時間が取れず、タイムリーな情報発信が出来ずにおりますことをお許し下さい)


大震災から4年4カ月を経ました7月8日、東日本大震災で被災した宮城県南三陸町の食を売り出す「南三陸ブランド戦略協議会」が発足しました。地元の漁業者や農業者、食品加工業者などが協働で活動を盛り上げまして、海産物のみそ漬けや缶詰などのこれまでになかった新しい加工品の商品開発をするというもの。既存のそれぞれの事業者の販路に加えて、高級志向の強い顧客層をターゲットにするという広がりも狙いまして、秋から県内外で本格的に販売を始める予定でおります。


南三陸町の地域別に歌津、志津川、戸倉の各地区で、1次産業の活性化や6次産業化に取り組む3グループで構成しています。私たち歌津小太郎は『歌津うんめぇもの研究会』というネーミングで漁業者や農業者、加工業者や小売業者の仲間たちとともに活動を行います。そして私、千葉がこの研究会の会長と申しますか世話役となっております。


7月8日の「南三陸ブランド戦略協議会」の発足式では、多くの報道陣や食に関する流通などの関係者、行政の方々にお越しいただき、様々な試作品・コラボ商品の『うんめぇもの』を試食して頂きました。  







例えば、地元産大豆を使ったみそで漬けたホタテやホヤの加工品や、タコのトマト煮の缶詰といった試作品は、南三陸の農業者と漁師と食品加工業者のコラボの典型的なものとしてご紹介。 ワカメの茎の甘煮は、漁師の家庭料理として沢山ある定番メニューの一つとして食されているものですが、そんな普通のうんめぇものを普段は人前でプレゼンすることなどない漁師さん自身から、『甘煮に合うワカメの茎の見分け方』に始まり各家庭の秘伝の味の秘密を紹介させて頂くなど、大いに盛り上がりました。


今後、『歌津うんめぇもの研究会』は秋からの本格的な新商品販売に向けて準備を進めて参ります。地域の取り組みにも歌津小太郎の得意分野であるモノづくり部門で関わりを持ち、生産者と加工業者が一体となって取り組める組織をめざしながら、歌津の地域全体のうんめぇものの新規ブランドを構築していくことを計画しています。


今後、この『歌津うんめぇもの研究会』の活動もこちらで随時、ご報告させて頂きたいと思います。 歌津小太郎も歌津の他の事業者さん仲間たちも、震災からの4年の間に地域を思う気持ちが以前にも増して深くなり団結力も強まりました。


この日を迎えるまでの関係者皆さまのご苦労に報いるためにも「楽しくなければ続かない」の活動理念を合言葉に5年先、10年先も継続する事業となるよう、異業種や世代の垣根を超えて、関わっている一人一人がやりがいを感じながら取り組むそんな『歌んめぇもの研究会』となるよう全力で頑張って参りたいと思います。
これからも引き続き応援を宜しくお願いします。

記事担当: 千葉孝浩  
※今回は、千葉孝浩@歌津小太郎・歌津うんめぇもの研究会会長兼務 として記事を書かせて頂きました。











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被災地からのレポート2015年7月3日 13:10

バナナはないけど『ばなな漁港』

唐突ですが『ばなな漁港』と検索してみて下さい。


馬場中山カオル商店HP20150617

”歌津小太郎 こぶ巻ファンド”の有限会社橋本水産食品の千葉孝浩です。
今回もときおり頂く質問のなかからちょっと面白い情報をお伝えします。

歌津小太郎の創業の地である南三陸町(旧・歌津町)にはリアス式海岸の入り組んだ地形の合わせて小さな漁港が沢山あります。なかでも直線距離で2kmくらいに隣接する馬場地区と中山地区、それに名足(なたり)地区、この3つの地域のそれぞれの小さな漁港を総称して『ばなな漁港』と呼ばれているのです。

実際のところ、私たち地域のものにとっては、3つの漁港をまとめて総称するという必要性はあまりなく、馬場漁港は馬場漁港であり、中山漁港は中山漁港とそれぞれ呼び分けています。しかし、行政側からみるとこの3つの改修工事などを行う際に、3件それぞれプロジェクトを構築するよりも、距離の近いこの3漁港を同時進行で改修工事を行ったほうが効率的といった理由だと思いますが、行政側のほうで震災よりももっと前からこの3漁港を総称して示すために『ばなな漁港』と名付けて下さいました。

冒頭の写真は、そのばなな漁港の目の前の湾内に設置する防波堤のブロックでして、一つ一つに“ばなな離岸”と刻印がされています。果物のバナナが語源ではないので、“ばなな”とひらがなで表記するのが正しい表記とされているようです。港の見学にいらした方が、この“ばなな”という表記を見て、『なんですかソレ?』と思うことも多々あるようです。また、県の港の復興計画の中からは馬場漁港や中山漁港が復興計画のプロジェクト件名から外れてしまっているので、『小さな漁港だから見捨てられたのではないか?』と心配して下さって問い合わせがきたりしたこともありました。

そこで今回はこの『ばなな漁港』をキーワードに私たちの町の港の復興の様子や風景をご紹介したいと思います。
歌津小太郎の工場は、そのうちの馬場漁港のお隣に海に面して建てられていました。


震災直後の旧・歌津小太郎工場敷地



小太郎社長が海水汲みを行っているのが中山漁港です



昨年2014年8月の写真となりますが、中山漁港でのホタテの水揚げの様子です。



2015年1月9日撮影。ばなな漁港の沖合より。海からすぐに標高400m級の山々が連なっていることが判るかと思います。



ここからは、現在のこの3つの漁港の様子をご覧いただきます。


“ばなな”の“ば”:馬場漁港です。(地図でいうと一番南)   

2015年7月2日 小太郎社長撮影

“ばなな”の真ん中の“な”:中山漁港です。

2015年7月2日 小太郎社長撮影

 “ばなな”の最後の“な”: 名足漁港です。

2015年7月2日 小太郎社長撮影


唐突にお伝えしたように『ばなな漁港』で検索すると、まずは釣り人向けの情報、次いで行政の漁港整備の情報、さらにブログなどでこの“ばなな漁港”を取り上げて下さった方の情報がヒットします。地域にいる私自身は普段はあえて検索することなどないので、第三者から見た私たちの地域の情報を知る機会となりました。

現在、『ばなな漁港』は高さ8メートルの防潮堤建設の計画のもと、周辺の用地確保のための整備が進められていて、海が目の前に広がるいつも見慣れていた風景が、近い将来にはコンクリートの壁に覆われたような港に大きく変わってしまします。未だに地元でも賛否が両論の中、着々と復興事業は進められています。
安心して暮らすための担保は防潮堤がしっかりと守ってくれることになりますが、生業を育んできた海への影響は今後少なからず出てくることも私たちは覚悟しておかなければなりません。

震災から4年3ヶ月が経過して被災地の復興も少しずつ目に見えて変化してきましたが、ここに住み続けるための葛藤は今も抱える切実な課題です。そんな中でも漁師は今日の稼ぎに海に出ます…
 「みんな本当に頑張っています!!」


2015年6月25日撮影。「ウニの開口」の様子

記事担当: 千葉孝浩

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被災地からのレポート2015年6月16日 11:26

ほやが美味しい季節となりました~歌津の母さん達の想いよとどけ!~

南三陸町の北部、旧・歌津町周辺では、地域の第一の特産品であるワカメ漁を4月末頃で終えますと、次は『ほや』の旬を迎えます。   
 

“海のパイナップル”とも言われているホヤ


“ほや醤油漬”


”歌津小太郎 こぶ巻ファンド”の有限会社橋本水産食品の千葉孝浩です。美しいリアス式海岸が続く宮城県と岩手県の沿岸部ではもともと天然のほやが多く取れました。そのほやですが、私たちにとってはこの時期になったら食べずにはいられないソウルフードで、子供のころから当たり前に食べていました。それが実は他の地域では全く知名度が低い食材であることを、恥ずかしながら社会人経験を10年以上経てから知りました。


歌津・中山漁港(小太郎社長撮影)


前置きが長くなりましたが、季節限定商品でゆえに数量は『さんま昆布巻』にかないませんが、『ほや醤油漬』が歌津小太郎の代名詞といっても過言でないくらいの大人気商品でした。2013年4月に工場を再建してからも、地域の漁港でのほやの水揚げが十分な量まで戻らなかったので初年度の復活は断念し、一年後の2014年5月にようやく『ほや醤油漬』の復活をさせることが出来ました。そして今シーズンですが、昨年よりもさらにほやの仕入れ量に自信が持つことが出来るまで、すなわちほや漁師さんのほうも漁の復興が進んで参りました。そこで満を持して皆様にお届けすることになりましたのが『歌津小太郎・新物ほや醤油漬と珍味のセット』!!!


期間限定『新物ほや醤油漬と珍味のセット』


5月21日から6月14日までの「被災地応援ファンド」セキュリテセット限定販売でしたが、お客様から「父の日ギフトに使いたい!!」と言う要望が多数ありましたので歌津小太郎ホームページと仙台藤崎百貨店「歌津小太郎コーナー」のみで販売期間をを延長(6月21日(日)まで)することになりました。


※歌津小太郎直筆“お父さんありがとうコースター”もお付けします!!

このセットはあえて『さんま昆布巻』をメンバーから外しました。今回は、ほや醤油漬を“センター”にしまして、お父さん達にお酒のつまみで味わって欲しい、そんな想いで厳選したので、5人(5品)のメンバーの顔触れを検討した結果あえて『さんま昆布巻』を外してみたのです。出来れば、これまで『ほやを食べたことがない』、そういった方に是非とも一度試してほしいと思います。

宮城県人・岩手県人が愛してやまないほやは一度食べたらやみつきになると絶賛する方がいる一方で、その独特の味と、鮮度が悪くなるとたちまち味が落ちてしまう、それも金属臭という特徴ある異臭を放つために“嫌われがちな食材”でもあります。そんなほやですが、歌津小太郎の『ほや醤油漬』は秘伝の味付けで他に類を見ないほどほやの美味しさを最大限に引き出していまして、それがゆえに年齢を問わず熱烈なファンがいるという特徴ある商品です。   


水揚げされたばかりのほや


山積みされたほや


商品となったほや


以上、歌津の現場から千葉がお伝えしました。

記事担当: 千葉孝浩  

PS 歌津小太郎のホームページではこんなコンテンツもご用意しました。   
・漁師の一眼 → こちら
・小太郎の四季 → こちら







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被災地からのレポート2015年5月28日 10:36

歌津の漁師のおかあちゃん

”歌津小太郎こぶ巻ファンド”の有限会社橋本水産食品の千葉孝浩です。

今回は、これまでにもときおり質問を 頂いていた話題ですが、小太郎社長夫人で歌津小太郎の製品の味を全て決めているあさ子へのインタビューを中心にしまして、歌津の漁師のおかあちゃん達の姿をご紹介したいと思います。

実は2014年2月には『小太郎社長インタビュー:歌津の漁師』というタイトルでご紹介していまして、戦前という時代に漁師町で生まれた小太郎社長の幼少期のインタビューを介して、歌津の昔の漁師の暮らしと当時の子供たちの様子をご紹介したのですが、それを公開した直後から、女性版と申しますか、あさ子のほうのストーリーも知りたいというリクエストを頂いていました。しかし、自分の親に改めてインタビューするのも気恥ずかしいのと、読まれる皆さんの関心がどこにあるのか、身近にいる者としては非常にまとめにくいテーマだと思いまして、長く保留にしていました。

その書きにくいテーマをちょっと工夫をしまして、あさ子へのインタビューはウチの製造スタッフ兼事務兼広報担当の渡邊に任せまして、歌津の昔の暮らしぶりと『食のこと』についてもイメージしてもらえればと思います。



 === 独占インタビュー ===

“小太郎社長の妻・あさ子さんの、(有)橋本水産食品が生まれるまで”

渡 邊:さて今回はあさ子さんに子供の頃のお話しから順に伺いたいと思います。女性に年齢を聞くのは失礼ですが、インタビューという事でお許し頂いて、教えて頂けますか?

あさ子:はい、いいですよ!昭和18年生まれで、兄姉は五人。私は末っ子として生まれたよ。生まれも育ちも※旧歌津町(うたつちょう)・馬場(ばば)だね。
※H17年に歌津町と隣町の志津川町が合併し、現在は南三陸町となっています。

        

渡 邊:あさ子さんの幼少時代~中学校時代のお話をお聞きします。小さい頃はどんな遊びをしていましたか?                                        

あさ子:そーだねー、かくれんぼや石けり、お手玉、おはじき、縄跳び、馬っこ(まっこ)乗りかな~?    

渡 邊:えっっ?馬っこ乗りってなんですか?

あさ子:人数が揃うと馬になる人と上に乗る人を決めて、下に落ちないように次々に飛び跳ねて乗っていくの。落ちたり、馬の形がくずれるとやり直しする遊びだね。馬になる人は大変だよ。増えれば増えるほど重くなっから、つぶされてしまうっちゃ。

  
 
       
      ※当時の『馬っこ乗り(飛び)』  Ieより

渡 邊:馬になる子は危ないですねぇ。 そんな中、浜生まれの浜育ちのあさ子さんは海とはどのよう関わってきたんですか?

あさ子:そうだね~、小学校三年生頃から両親と一緒に船に乗って行って天然のわかめの「わかめあげ」 を手伝ったなぁ。 当時は半農半漁の生活だったから、学校に行く前に朝仕事として畑に行っては麦ふみをして、海に行ってはわかめあげをしてからでないと学校には行かせてもらえなかったんだよ!

体を動かせばお腹もすくし、かと言って食べる物もないからね。自分の家の仕事の他にも手伝いに行ってはお米をもらったりしてね。高学年になると、海藻とりやウニ・アワビの開口にも連れてってもらったりしてね。            

渡 邊:子供なりの役割があって手伝いは必須だったんですね。  

あさ子:そうだね、幼い頃から当たり前のようにしてきたから、これが(手伝い)糧となって、今があるようなもんだね。

渡 邊:手伝いの中にも女の子は台所の手伝いもあったと思うんですが、やはりこの頃から料理の手伝いがあったからこそ今の料理上手に繋がるんでしょうか?

あさ子:いやいや、料理は結婚してからだよ。もちろん、台所の手伝いはしてたけどね。



         


渡 邊:そうなんですね!結婚という言葉が出ましたので、ここからは結婚してからのお話をお聞きしたいと思います。小太郎社長と結婚したのは何歳の時ですか?
 
あさ子:昭和41年だから、社長が25歳で私が23歳の時だね。どちらの家も漁師の家庭でね。当時の千葉家は網差しや天然ホヤをやってたね。それからかれこれ6年経って長男、孝浩(現在、(有)橋本水産食品専務)が生まれ、その3年後に次男、馨(現在、かなっぺ経営)が生まれたのね。次男が生まれた年に橋本水産食品として創業、その後(有)橋本水産食品として会社を設立。有限会社になってからは私が、ほや、めかぶの原料を各浜に買いにトラックで歩いたね。

この頃のほやの味漬けは小太郎社長だったんだよ。ある方のあるたれとの出会いがあってね、その一品を応用して歌津小太郎の味を作り上げてきたの。煮物や昆布巻なんかは私独自の味で味漬けしてたけどね。それと、採った海藻は社長が市場へ売りに行ってね。

     
        
         こんぶ炒り作成中のあさ子さん

渡 邊:そうだったんですね。 幼少時代から結婚後までのお話をお聞きする事ができ、ますますあさ子さんファンになりました。有り難うございました。

以上、渡邊がお届け致しました。



歌津小太郎の商品づくりのこだわりを一言で言えば「人」です。

もちろん新鮮な旬の素材や地元でしか食すことのできない料理法など、物「モノ」を通じ味や風味を表現するためのこだわりは当然あります。

しかしながら、この自然豊かな環境で生まれ育った私たちにしてみれば商品を作るうえで物へのこだわりは、当然に備わっている基本的な要素です。それよりも、その自然を熟知している経験や素材の特性を引き立たせる熟練された技術こそ私たちが商品に吹き込まなくてはいけない者「モノ」としてのこだわりです。

今回の記事はそんな私たちのモノづくりの一面を少しでもイメージが膨らむようお伝えできればと思い、歌津小太郎の味付けの原点を築いた創業者の人となりをご紹介しました。現在、製造スタッフ10名ほどで毎日の商品づくりをより「いいモノ」にするべく作業工程を日々工夫し、作り手の立場を楽しみながら業務にあたっています。

現在建設中の新工場も高度な衛生環境にするため、最新の設備が導入される計画で進めていますが、決して大量生産ではない、手づくりのやさしさが伝わる「モノづくり」にとことんこだわり、これからもお客様に必要とされる事業となるよう精進してまいります。

<あとがき>

小太郎夫人のあさ子へのインタビューはいかがでしたでしょうか?

私も知らないことが沢山ありました。最初に出資者の方にリクエストを頂いたときは、どんな記事が書けるか想像もつかなかったのですが、担当した渡邊がうまくその辺を引き出してくれたと感じています。 おかげさまで工場を移転し、限られたアイテムから製造を再開して丸2年を無事に迎えることが出来ました。水産加工に必要な海水の引き込みが依然かなわない状況の中、スタッフ一人一人が持ち得ている知恵と技術でここまでの商品を扱えることが出来ました。もちろん未だにお客様からのご要望にすべてはお答えできていない部分に関しては、何よりも優先させなければいけない課題と捉え、今後は取り組まなければなりません。

正直なところ事業再開から、この半年ぐらい前までは私自身「焦り」、「迷い」、「弱気」と言ったマイナス思考的な考え方がどうしても頭の中の大半を占領していました。もちろん今になってもこの要素は一つも解消できている訳ではありませんが、なんとなく上手に付き合うことが出来るようになってきた気が最近しています。その要因は何なのかを自分に問いかけてみると「期待」、「信頼」、「覚悟」と言う前向きな気持ちを心に持てるようになってきたからなのかと感じています。

これからも皆様からの力強い応援をなによりの原動力に、私たちの最大の武器であるスタッフ一丸のチームワークで自分たちにしか出来ないモノづくりに挑戦してまいります。
これからも応援よろしくお願いします。

記事担当  インタビュー/渡邊笑美、 本文/千葉孝浩








【100セット限定】新物ほや醤油漬と珍味のセット

旨みたっぷりの絶品のホヤを醤油漬にしました。
旨みが引き立ち一度食べたらファンになること間違いなしの
自慢の一品です。

 

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2015年4月30日 11:36

425祭にて旧工場と新工場の視察

先週末に開催した425祭2015in南三陸町ツアーの2日目に、歌津小太郎こと千葉小太郎さんと息子さんの考浩さんによる南三陸町案内バスツアーが行われました。

歌津小太郎 
 
南三陸町を案内いただき震災前の様子と現在復興状況などを実際にバスを止めて歩いて視察しながらお話いただきました。

歌津小太郎 
 
震災前に水産加工工場があった場所もご案内いただきました。

歌津小太郎 
 
歌津の海岸は荒々しい岩場や断崖が続く典型的なリアス式海岸です。
海水の栄養価もよく外洋に面し激しい潮にもまれて身が肥えた海藻類も豊富でちょうどわかめの収穫をされているところでした。

歌津小太郎

(わかめの収穫作業をされている方は一見皆さん漁師さんに見えますがボランティアの方もいらっしゃるそうです。)

歌津小太郎 
 
海辺のすぐそばの津波で流されてしまった旧工場跡地をご案内いただきました。
皆さんの背中にはすぐ海岸です。
改めて津波の恐ろしさを感じました。
 
歌津小太郎 
 
後ろの土砂はかさ上げ工事途中です。

歌津小太郎 

上の写真の中央の山は旧工場のすぐそばにある神社で少し高台にあり、千葉さんは震災時こちらの神社に駆け込み助かったとのことでした。
 
そして少し内陸部に車を走らせ新工場へと向かいました。

歌津小太郎 
 
現在第一工場の横に第二工場を建設中です。
 
第二工場まで海水を引き込む工場についても行政に申請中だそうです。

歌津小太郎 
 
出資者の皆さんと記念撮影。
 
現在、【歌津小太郎こぶ巻ファンド】は皆様のおかげ様をもちまして、2012年6月28日募集開始から738人もの方にご支援いただき、3700万円もの出資金が集まりました。
募集総額4240万円まで残り約500万円となりました。
 
あとすこし、
出資を検討されている方もすでにご出資いただいている方も、今一度温かいご支援お待ちしております。
 
宜しくお願い申し上げます。

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被災地からのレポート2015年4月23日 14:32

復活2年目~2月・3月の報告:第二工場着工・ホームページリニューアル~

”歌津小太郎 こぶ巻ファンド”の有限会社橋本水産食品の千葉孝浩です。
『毎月11日に更新するぞ!』と決めて始めたいろいろな思いを盛り込んでご報告する毎月配信のブログがここのところ滞ってしまっておりました。今回は2月と3月の経過をまとめてご報告します。


既にお気づきの方もいらっしゃると思いますが、長いこと動きのなかった歌津小太郎のホームページを2月27日よりリニューアルしました。同時になんとFacebookもはじめました。

ホームページ→http://www.utatsukotaro.co.jp/
facebook→https://www.facebook.com/utatsukotaro




これは、なかなかパソコンの前での作業に時間を取ることができない私に代わって、製造スタッフ兼事務担当の二人が、今年1月の初めからスタートしたプロジェクトの成果です。漁師町の奥様達なので魚をさばくのは得意でも、こうしたパソコン作業はとっても苦手!そこのところをなんとか試行錯誤しながら、得意な人に教わりながら仕上げました。手作り感満載で歌津小太郎らしい出来栄えになっているかと思います。

こうした独自のホームページやFacebookでの情報発信に加えて、ここのところの1年半ほど力を入れていた被災地応援ファンドのこちらのブログでの発信を通じて、より多様な局面から私たち歌津小太郎と私たちが暮らす歌津の地域への理解を深めて頂ければと思います。


さて、今回のブログの主題ですが、既にピークを過ぎてしまってからのご報告で本当にカッコ悪いのですが、歌津小太郎の拠点であります南三陸町・歌津の港では2月下旬からワカメ漁が始まり、3月から4月初旬にかけてピークを迎えました。そのワカメ漁のご報告に始まり、2月と3月の進捗をお伝えしたいと思います。

また、今回は出資者の方から意外な質問、「小太郎社長は最近どうしていますか?」というものを頂きましたので、そちらにお応えしつつ、私たちの現状を踏み込んでお伝えしたいと思います。

●歌津に春到来! 
ワカメ漁2015 3月下旬から4月上旬の歌津・馬場中山の港の様子はこんなかんじとなります。


朝日が昇る前から作業をするワカメ漁師さんの船です。
列になって浮かんでいるのは、ワカメ養殖のロープを支える浮きです。



朝日が昇る頃に作業をする船をもう少しズームしてみましょう! 
以上の写真2枚馬場中山カオル商店HP20150328



もう少し太陽が昇ってからの写真です。(朝日の写真とは別の日)



港での収穫したワカメの処理作業風景の遠景です。
上記の写真2点とも馬場中山カオル商店HP20150402



漁師さんの家族単位で作業を行っています。 馬場中山カオル商店HP20150330


今年の歌津のワカメは、海水温の低温が影響して生育が遅れたこともあり、思うような収穫が出来ないシーズンとなりました。ワカメそのもののご紹介は、歌津小太郎の商品のご紹介に交えて次の活動報告のなかでお伝えします。

●2015年2月~3月の歌津小太郎の活動報告
【新物めかぶ2015】
今年の2月は天候にも恵まれ、寒い時期のメカブ特有の新芽で柔らかい良質のメカブを用意することが出来ました。その新物メカブと歌津小太郎自慢のさんまの昆布巻をセットにした、春限定のセキュリテセットを今年も販売させて頂きました。おかげさまで82名様から98セットのご注文を頂き、またまた全国に送らせて頂きました。
お買い上げ頂いた皆様には、あらためて感謝感謝の気持ちでいっぱいです。
ありがとうございました!



【第二工場建設】
1月22日に地鎮祭を行いました歌津小太郎第二工場ですが、諸般の事情で着工はそれから一ヵ月以上後の2月26日からとなりました。第一工場のお隣に出来ますので私も他の製造スタッフみんなもワクワクしながら工事の進捗を見守っています。   


地盤改良工事が始まりました。2015.2.26撮影


2015.3.3撮影


2015.3.26撮影


2015.4.14撮影


2015.4.22撮影



 ●歌津小太郎への素朴な疑問 Q&A
仙台・藤崎の常連のお客様からは、
「歌津小太郎さんの姿をお店で見なくなったけど、今はどうしていますか?」
ファンドの出資者の方からは、
「小太郎社長の姿をブログの中ではあまり見かけないけど、お元気ですか?体調など崩されていないでしょうか?」

 あるいは、半分冗談ではありますが、
     「千葉さん(孝浩)は『2代目・漁師の歌津小太郎』を“襲名”されたりしないのですか?」
といったお声をときおり頂きます。

「あれれ、もしかしたら小太郎社長の存在感がここのところ薄くなっていたかも?」と、気付かされました。ご心配をおかけしてすみません!
小太郎社長はもちろん元気にしておりますが、お客様の前に姿を見せることが少なくなった、その理由をご説明したいと思います。

小太郎社長は10年ぐらい前までは仙台・藤崎の直営店舗にほぼ毎日店頭に立っておりました。(私がお伝えするのも手前味噌ではありますが)実は、藤崎の常連のお客様の中には、『歌津小太郎商品のファン』というよりは『小太郎社長ファン』という方も少なからずいらっしゃいました。その後、体力的にも歌津~仙台を毎日通うことが厳しくなり、小太郎社長の代打で店に立つ私に、「あれ、今日は小太郎さんは?」と問いかけられる方が多かったので、『小太郎社長ファン』というのは言い過ぎではないと思っています。

2011年の震災・津波で被災してからは生産資源を全て失ったので、販売するものも無くなってしまいましたから、そのような形で小太郎社長がお客様の前に姿を現すことはなくなってしまいました。その後、2013年3月に仙台・藤崎の直営店舗が復活し、さらにその一ヵ月後に歌津・管の浜の現在の工場が出来てからは、実は小太郎社長には歌津での重要な任務、それも小太郎社長にしか出来ない特殊任務的な作業があり、仙台の店舗のほうにはなかなか顔を出すことが出来なくなってしまいました。
 
「その重要な任務とは…?」  
…実は『海水汲み』なんです。

通常期ですと毎日500ℓの水を2往復、取り扱い原料によっては毎日5往復も海水を汲んでは軽トラックで工場に運んでいるのです。

以前の工場は海の目の前に建っていましたので、原料を洗うための海水は海から直接くみあげていましたが、現在の工場は内陸に500mほど入ったところにありますので、このような海水汲みの作業が必要になりました。

そもそも、なぜ真水ではなく海水を使うのか?
海産物の下処理は真水を使ったのでは製品になりません。私が言うまででもありませんが、素材の良さを引き出すためには出来るだけ自然に近い状態で作業しなければなりませんし、細胞や繊維を壊さないためにも水産加工では海水での下処理は基本中の基本です。例えば、めかぶ漬の下処理でメカブを洗浄する工程がありますが、この作業を真水でした場合、メカブの鮮やかな緑の色や独特のねばりが極端に損なわれてしまいます。また、一日の作業を締めくくる清掃作業では作業場の床や壁の洗浄も海水で洗い流すと、次の日の朝の状態が全然違います。  


震災前工場があった近くの中山漁港で、海水汲み
に取り掛かる、小太郎社長  








『海水汲み』の作業を終え、海を見ながらくつろぐ小太郎社長です。 馬場中山カオル商店HP0326

この『海水汲み』ですが、現在の第二工場建設と合わせて、海水を引き込む工事が出来るように行政に申請し調整中なのですが、いまだに最終判断が出ていません。この件のネックは港の整備の進捗なのですが、今後の歌津小太郎の商品製造の生産性に影響する重要事項なので、引き続き働きかけを行って参りたいと思います。


<あとがき>  
歌津小太郎のブログは、我々を気にかけてくださる出資者の方などからの情報発信に対するアドバイスを元に構成しています。自分達にとっては当たり前すぎてこれまでお伝えできていなかった歌津のことに漁師の仕事や海の旨いもののことなど、「こんなこと知りたい!」とリクエストを頂ければ今後のブログで反映していきたいと思いますのでよろしくお願いします。

現在、第二工場建設対応で本当にバタバタでして、すぐには全てに対応出来ないと思いますが、少しずつ皆さんのご要望にお応えしつつ、歌津小太郎のありのままをご理解頂けるように努めたいと思います。

ときおりこのあとがきで現在の歌津小太郎の復興の進捗度合いを登山に例えて参りました。前のブログを読み返してみると、2014年4月18日配信の記事でちょうど2014年の第一四半期を終えた時点での進捗として「登山に例えると6合目まできた」という報告をしていました。それからちょうど1年が経過しましたが、この間は6合目からなだらかに長く続く7合目を目指して歩み続けてきたといったところです。

実は首都圏のデパートなどから催事販売への出店のお声掛けなども頂いているのですが、まだまだ生産体制が十分でないため、直営店舗の『仙台・藤崎』、工場のお隣の『みなさん館』、そして震災前からの販売代理店である加藤物産による小規模な催事販売という既存のこの3つの販路への供給を間に合わせるだけで精一杯という状況でしたので、泣く泣く断念していました。ビジネス用語的に申しますと、ボトルネックが『生産体制』でして、具体的には本来は水産加工の『二次加工』を行う設備で、『一次加工』も行わなければならなかった故に効率の悪さが原因でした。(ちなみにこの『一次加工』に海水を沢山使っているわけです)

そのボトルネックですが、この秋にオープンの第二工場が完成すると一気に状況が変わります。登山に例えるならば、7合目の先には斜面60度の難関が待っているというイメージでしょうか。第一工場の倍の生産量に増やすことが出来るのですが、一方ではそれを支える製造スタッフを増員しなければなりません。秋からのボトルネックが『製造スタッフ』となることが明確なので、その準備を今からしております。

 …と、ここまで書いたところで、(いつものことですが)あとがきなのにとても長くなってしまいましたので、今回はここまでで締めたいと思います。

まだまだ沢山のハードルを抱えながらの事業再建ではありますが、引き続き応援を宜しくお願いします。




記事担当: 千葉孝浩

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被災地からのレポート2015年4月15日 11:52

行って来ました!

遅くなりましたが・・・
 埼玉県蓮田市・第25回商工祭さくらまつりが4/4(土)行われ
 (有)橋本水産食品より千葉孝浩が歌津小太郎の代表として行って来ました。

今年のさくらまつりは、天気が心配されましたが、 まつりが始まる少し前には雨があがり、
まつり中は 何とか降らずに持ちました。
きっと何処かにお天気男・お天気女がいたのかな~と思います。


当日の祭りの様子


毎年のことながら、沢山の人で賑わいます。


今回のさくらまつりも毎年お世話になっている“はすだ支援隊”の 皆さんの応援があり、
おかげ様で持参した商品はすべて完売となりました。
本当に有り難うございました。
蓮田の皆さんの協力と支えがあってこそ、歌津小太郎の今があります。
今後も深いお付き合いを続けていくと共に、皆さんの応援にこたえて いけるよう、
三陸・歌津の『うまいッ!』をお届けしていきたいと思います。


目印の大漁旗



トレードマークの、歌津小太郎ハッピにバンダナ帽の千葉と、
 “はすだ支援隊”のリーダー、小森さん。


試食の提供をしている、千葉



ブースの外でも・・・


お子様連れのお客さんもたくさんきて頂きました。


南三陸町・歌津 馬場・中山地区キャラクター“海藻戦隊・わかめんジャー”は
残念ながら登場しませんでしたが、
蓮田市のマスコットキャラクター“はすぴぃ”が来てくれました。
子供達も大喜び!



また、毎年8月に行われる、“はすだ市民まつり”にも、出店する予定でおりますので、
夏にも『歌津小太郎』の旬の味を持って皆さんに会いに行きたいと思います。
今後共、宜しくお願い致します。


記事担当 渡邊 笑美

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被災地からのレポート2015年4月2日 11:29

今年も行きます!さくらまつり!

今年もさくらの季節がやってきました。
『歌津小太郎』にとって4回目の出店となるさくらまつり。
(有)橋本水産食品・千葉孝浩がトレードマークの歌津小太郎ハッピに バンダナ帽を身にまとい、皆さんに会いに行きます。


↑こちらは去年の様子。わかめの試食とセールスに追われる千葉。
 昨年同様、この機会に歌津の地域と歌津小太郎の復興の進捗もお伝えできればと 思っています。


今回は、
・新物 湯通し塩蔵わかめ
・新物 めかぶ漬
・陸中漬
・ひと味ぼれ/ほたて
・さんま昆布巻 の5アイテムが小太郎ブースに並びます。
 南三陸町歌津の旬の味と地元漁師のお母さん達が作るおふくろの味をお持ちしますので、
皆さん是非!イベント会場へ足を運んで頂ければと思います。


 ■埼玉県蓮田市・第25回商工祭さくらまつり
日 時: 2015年4月4日(土) 午前10時~午後4時 ※雨天順延
場 所: 元荒川河川敷公園(蓮田駅より徒歩10分程度)
会場までは、蓮田駅東口よりのぼり旗を目印にご来場いただけます。
 (会場付近の混雑緩和の為、公共機関をご利用ください)

詳しくはこちら↓
 http://www.nihon-kankou.or.jp/saitama/detail/11238ba2210115879


↑去年のさくらまつりの様子。
 絶好のさくら日和でした。


↑海藻戦隊・わかめんジャー。 今年は来てくれるかな~?


【解説】 私達、歌津小太郎のある南三陸町の馬場中山地区と蓮田市さんとは震災を機に深くおつきあいをさせていただいています。蓮田市と白岡町の建設業者さんの有志により結成された“はすだ支援隊“の皆さんが初めて馬場中山地区のボランティアに来ていただいたのが2011年4月下旬。それ以来、ガレキ撤去、炊き出しに始まり、第二避難所建設、道路建設といった大きなプロジェクトも私達・地域のメンバーを導き奮い立たせながら協同で活動してくださいました。震災から4年を経過した今もなお、ご支援を継続して頂いています。


記事担当 渡邊笑美

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被災地からのレポート2015年3月25日 14:01

『震災から4年 東北の食を楽しむランチ&トークイベント』参加報告

”歌津小太郎 こぶ巻ファンド”の有限会社橋本水産食品の千葉孝浩です。
先日の週末、3月21日(土)に『震災から4年 東北の食を楽しむランチ&トークイベント』に参加して参りましたのでご報告します。

震災から丸4年を迎えましたこの3月、私たち歌津小太郎にとっては2013年4月に工場を再建してから“丸2年”を迎えようとするこの時期ですので、歌津小太郎のナンバーワンの人気商品である『さんまの昆布巻』と今が旬の『めかぶ漬』をお持ちして伺いました。


『さんまの昆布巻』と今が旬の『めかぶ漬』。4月中旬までセキュリテセットとしても販売中!




実はこれまで、ミュージックセキュリティーズさんから何度も東京でのイベントにお誘い頂いていたにも関わらず、日々の製造と仙台の直営店舗での販売、そして新たなる挑戦に向けた様々な業務に忙殺され、なかなか東京まで出向くことが出来ずにいました。前回、歌津小太郎が東京でのイベントに参加させて頂いたのが、工場再建直後の2013年7月、その頃はまだ原材料が揃わないという事情で看板商品の昆布巻の復活が果たせておらず、事業再建はしたもののヨチヨチ歩きという段階でした。今回は、ようやく歌津小太郎を温かく支援して下さる皆さんの前で、自慢の昆布巻とともにご挨拶することが出来たわけです。


イベント会場内の様子


  ゴメンナサイ。ちょっと暗くて判りませんが、私(千葉)です。


今回は、10社くらいの事業者さんが参加するイベントで、立食パーティー形式でしたが、全員の前でお話 させて頂く時間も5分ほど頂きました。 …が、残念なことにちょっと舞い上がってしまい、重点的にお伝えしなければならないこと、本来は歌津小太郎の新たなる挑戦である第二工場のこともう少し詳しくお話すべきでしたがうまくお伝えしきれないままに終わってしまいました。こういった場に慣れていないなと大反省。


しかし、イベント全体が約3時間半とたっぷりの時間をとって頂いたので、歌津小太郎の試食コーナーにお越しいただいた多くの皆さんと十分にお話をさせて頂くことが出来ました。どういった期待をこめて私たち歌津小太郎を応援して頂いているか、そういったお話も直接お会いして出資者側の思いを伺うことが出来た貴重な体験でした。本当にありがとうございます!


会場内に設けた『歌津小太郎試食コーナー』


商品以外の話題なのですが、実は一番多かったお声がけが、
   「ブログを読ませて頂いています。文章がウマイですね!」
というもの。嬉しいような、気恥ずかしいような…すなわち、こちらに書かせて頂いている長文のブログのことです。多くの方にこうして反響を頂きましたので、この場を借りて歌津小太郎ブログに関して補足しておきたいと思います。


長文ブログの後半にもいつも書いていますが、『被災地からのレポート』に私たちの本音の思いも含め沢山のことを綴るようになりましたのは、出資者の方からのアドバイスによるものでした。

・会社の名前が“有限会社橋本水産食品”で、  
・私の苗字が“千葉”で、    
・ブランド名が“歌津小太郎”で、、、

この3つが関連づかずに判りにくいので、そこをブログ記事で説明してはどうか? こういったアドバイスを皮きりに、「出資者の目線で見ると歌津さんのココが判りにくいから。。。いい商品なのに伝わっていないから。。。こういう表現で伝えると都会の人にも判りやすいのでは。。。」といったように効果的な発信のためのアドバイスを頂くようになりました。その結果生まれたものが歌津小太郎の長文ブログなのです。


そんなわけで、私自身の文章がウマイのではなく、なかなか出資者の皆さんの前で“歌津小太郎”の全容をご説明する機会を持てなかった私たちを“広報(後方?)支援”の位置づけでサポートして下さるようになった出資者の方との合作が、うまく読者の側に届いているということなのです。

ブログに関するお声がけを頂いた皆様には、そのような出資者の方とのコラボ記事であることをお伝えしまして、従業員10数名の小さな会社である我々にとっては、遠くにいても『出来ることを出来る範囲で支援して下さる力』、すなわち出資者の皆さんのお力を得たことが、事業再建の一番の推進力となっていることを感謝の気持ちとともに述べさせていただきました。


もちろん、ブログの話題だけではなく、『さんまの昆布巻』と『めかぶ漬』をご試食頂いての感想や、“首都圏で昆布巻を買えるようにならないのか?”といった嬉しいお声掛けも沢山頂きました。ありがとうございます。

4年たって徐々にあの大災害の記憶が風化していく中、私たち東北の事業者のために集まって下さった皆さんに本当に感謝します。

歌津の海岸は、現在、ワカメ漁の最盛期でして4月下旬まで収穫が続きます。気候が良くなって参りますこれからの季節、東北を旅行される際には、是非、南三陸町・歌津にお立ち寄り頂ければと思います。


有限会社橋本水産食品 千葉孝浩


 
 

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被災地からのレポート2015年3月6日 09:54

ホームページがリニューアル!

しばらくの間、動きの感じられないホームページでしたが、
遂に!!
常に新しい情報が目に見えるホームページが誕生しました。

これまで(旧ホームパージ)から、生まれ変わるまでの日は事務所スタッフが
ホームページ作成チームとして、日々活動してきました。
写真の撮影から始まり、文章の校正・レイアウト、また自身が思っている意見を
お互いに 出し合いながら、1月中旬から2月下旬にかけて作りあげてきました。


 ・・・とある作業風景での会話
校正スタッフ「この写真はどうでしょう?」
撮影スタッフ「う~ん、もう少し中央によせた方がいいかな・・・」 etc.

こんな感じの会話が1か月半続き、納得がいくまで意見を出し合い、
ようやく、Newホームページが出来上がりました。


また、新たな試みとして、初めてfacebookも始めました!
是非こちらも、活用して頂ければと思います。

詳しくはこちらまで↓
facebook→https://www.facebook.com/utatsukotaro
ホームページ→http://www.utatsukotaro.co.jp/


記事担当 渡邊笑美

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