歌津小太郎こぶ巻ファンド ファンドニュース 2013年10月

被災地からのレポート2013年10月24日 10:45

歌津小太郎の復活物語 (後編) 2013年10月まで

”歌津小太郎こぶ巻ファンド”の有限会社橋本水産食品の千葉孝浩です。
前編に続きまして歌津小太郎の復活物語の後編、
2012年8月以降に関しましてご紹介します。
前編はこちら

 前編は、2012年6月28日からこちらミュージックセキュリティーズさんの
ご支援により“歌津小太郎こぶ巻きファンド”の募集を開始したこと、7月中旬には
工場は無いながらも自宅の台所で作った「三陸歌津産湯通し塩蔵わかめ」を
仙台/藤崎さんの特設売り場で販売させていただいたというところまで、
2012年7月までの出来事をご紹介しました。
後編もついつい長くなってしまいましたがお付き合いください。

 ● 2012年8月…新工場建築確認申請と歌津小太郎応援団
2012年12月より新工場建設の計画を始めまして、ようやく建築確認申請提出(気仙沼土木事務所)
にまでたどり着きました!
当初計画は4月には建築確認申請、6月着工でしたが4ヶ月ほど遅れたことになります。
建設費の高騰や建設資材調達の遅れなどさまざまな理由から、建設事業計画を何度も
見直した結果ですが、針生承一建築研究所さんのご尽力になんとかここまで参りました。
気持ちばかりが焦っていた日々でしたが、一つずつ問題を解決しながら進めておりました。

(気仙沼土木事務所に申請書類提出)

 一方で、ものすごく嬉しいこともありました!
 8月中にも2日間だけですが仙台/藤崎百貨店での販売をいたしまして、
さらに埼玉県蓮田市でのイベントにも出店出来ました。
蓮田市さんとは歌津地区にボランティアに来ていただいたことでご縁ができまして
「はすだ市民祭り」にお呼び頂いたのでした。
驚くことにはすだ支援隊のみなさんだけでなく、歌津/馬場・中山地区への
ボランティア参加がご縁で親しくなりました福井・静岡・神奈川・東京からも
「歌津小太郎応援団」として遠路はるばる駆けつけイベントを盛り上げて下さいまして、
大成功に終わりました。
 この頃から自宅台所工房はフル稼働! 家族総出でわかめを袋詰めしていました。



(はすだ市民まつり)

● 2012年9月…南三陸・略して“みなさん”―南三陸直売所「みなさん館」 震災から1年半を迎え、
復興もあまり進まない状況の中、小さな町の報道がされなくなってきたことを感じはじめたのがこの頃です。
 しかしこの時期、目に見える復興の気配が一つ。歌津小太郎新工場のお隣に建設中の南三陸直売所「みなさん館」の工事は着々と進んでいました。 9月中旬には歌津小太郎の元従業員の皆さんにも再び集まって頂きました。遅れております歌津小太郎新工場完成の前に、「みなさん館」のレンタル厨房を借りて再スタートする計画を伝えるためでした。震災前の規模の十分の一の規模からの再出発。家族同然の仲間たちと再び仕事が出来る日が近づいた喜びは言葉に出来ないくらいのものでした。 9月中もお彼岸の頃の3日間だけ仙台/藤崎さんでの出店。久しぶりにお会いするお客様にも、「みなさん館」での仮の工場再開をお伝えすることが出来ました。

(工事中のみなさん館 店内)

(お借りする予定のみなさん館 レンタル工房)

 ● 2012年10月…南三陸町・歌津地区の復興のさきがけ「みなさん館」 10月7日、南三陸直売所「みなさん館」がオープンしました。私(千葉)も地域のメンバーの一人としてこのプロジェクトに1年以上関わって参りましたので、竣工式でもご挨拶させて頂くなどスタッフ側で出席しました。 ここでは、地域の農産物・水産物に加工品や手工芸品などを販売します。南三陸町の北側の歌津地区(旧・歌津町)は人口5000人の小さな漁師町。決して観光客が訪れるようなところではなかったので、広い駐車場も備えたこのような直売所などありませんでした。これからは「みなさん館」が地域の特色ある品々の発信の場となります。遠方からのお客様にも足を運んで頂くことを期待していますが、大きなスーパーなどが少ないこの地では地元の人々にとっても日常の買い物や地域のイベントなどの交流の場になります。 そして何よりも歌津小太郎にとってはここのレンタル厨房が新工場完成までの仮の製造設備となるのです。




(みなさん館 レンタル工房にて磯人漬 復活!!)

この「みなさん館」のオープンまでにも様々な方のご支援を頂きました。なかでもNPO法人故郷まちづくりナイン・タウンさんと公益社団法人アジア協会アジア友の会さんには、地域をまとめて事業を興すという立ち上げから始まり、長きにわたって助言を頂き、ここまでたどり着くことが出来ました。


(プロジェクト仕掛人のお二人 左の男性がナインタウン 伊藤寿郎さん 右の女性がアジア協会 松井聡子さん)

 ● 2012年11月…蓮田市と座間市でイベント 11月は埼玉県蓮田市と神奈川県座間市でイベントに呼んで頂きました。いずれも南三陸にボランティアで来ていただいたご縁です。 こちらに関しては詳しくは沢山の写真とともにご紹介している“歌津小太郎ホームページの活動日誌2012年11月20日”をご覧下さい。


 ● 2012年12月…「石巻・南三陸ツアー」の皆さんと交流 12月15日、被災地応援ファンドの「石巻・南三陸ツアー」のみなさんがやってきました。 歌津小太郎は建設中の新工場の様子、といっても基礎工事中ですので図面とともに構想を説明し、歌津小太郎をはじめこの地の特産物は「みなさん館」でご紹介しましてお買い物を楽しんで頂きました。
 歌津小太郎にとってはこれが出資者のみなさんにお会いするのは初めての機会でした。引率役のほやファンドの三陸オーシャン/木村社長にマルセン食品の三浦さん、さけファンドの伊藤さん、山内鮮魚店の山内さん、かまぼこファンドの及善商店の及川さんといった我々と同じように復興に向けて頑張っている皆さんにも初めてお会いできました。それぞれの事業再建のお話を伺うことが出来まして、工場再建がこれからとなる我々にとって参考になることが多かったです。
 出資者のみなさんからは温かい励ましの言葉を頂き、元気が出ました。何よりもこうして南三陸の地まで足を運んで下さること、遠くにいても永きに渡って気にかけて頂けること、それが事業を続ける励みになります。

(ファンド事業者の皆さん 「南三陸 さんさん商店街」にて)

肝心の新工場のほうは12月中に基礎工事を終えました。スケジュールが厳しい為に、寒い中、工事関係者のみなさんには本当に苦労をかけました。

● 2013年1月…工場の上棟
新工場建設が着々と進みまして上棟を行うところまで参りました。目に見えて柱が立っていく様子に期待が高まります。本来であればここで上棟式を行うのが通例ですが、まだまだ復興のめどがたたずにいる皆さんのことを考慮しお祝いの行事は行わないことにしました。



(工場の棟上げ 平成25年1月17日 大安)


 ● 2013年2月…新工場は内装工事に入りました
新工場は外装工事が終わり、内装工事に取りかかりました。邪魔にならないように覗き込んでは、ここにあの設備を置いて、ここにあれが来て…と想像力が膨らみます。



(工場 内装工事)

● 2013年3月…あの日から2年―歌津小太郎売り場が復活しました
 震災の日から丸2年の節目を迎える3月11日に仙台藤崎百貨店の「歌津小太郎コーナー」の常設テナントが再開となります。全従業員を集めた決起集会を3月1日に開催しました。この日から元・従業員から再び歌津小太郎で働く仲間となりました。総勢13名です。 藤崎百貨店の友の会の会報でも我々の再出発を取り上げて頂き、再開初日には多くの歌津小太郎ファンの方が懐かしいお顔を見せてくださいました。たくさんの皆様の応援があって、この場に戻って来られたのです! その日は感慨ひとしおの中、以前と変わらない環境で仕事ができる感謝の気持ちと、この日を目標にしてやってきたのが間違っていなかったのだと、あらためて確認することが出来ました。不安だらけの再出発でしたが、お客様の笑顔が、これから進む険しい道のりを乗り越える、大きな自信となりました。

(再開した仙台藤崎 歌津小太郎コーナー)

 また3月初旬でしたがミュージックセキュリティーズさんと東京・丸の内にあります新丸の内ビルディングさんのご協力で「被災地ウィークス」というイベントを開催していただきました。その中で歌津小太郎の商品を特別にレストランでご使用いただいたり、社長の千葉小太郎がトークイベントに出させていただいたりしました。

 震災以降、自社の再建とともに歌津の地域の復興に全力を注いでいたもので、実は社長も私もほとんど都心に出ることなく、過ごしていたこの丸二年間でしたので、都内で出資者のみなさんにお会いするイベントに参加するのも、この時が初めてでした。 小太郎社長いわく、「熱心に応援してもらっている皆さまに、お礼を言いたくてこのイベントに参加したつもりが、ついつい皆様の熱意につられて自分達がしてきたことを話し過ぎてしまい、最終の新幹線で帰るのを断念したんだ。でもじっくり話ができたんで行って来て本当に良かった。」と誇らしげに土産話をする姿を見て、皆様と過ごした有意義な時間にとても満足そうでした。

 ● 2013年4月…待ちに待った新工場オープン!
 4月2日(大安)、待ちに待った歌津小太郎新工場の引渡しを受けました。55坪木造平屋の真新しい工場です。工事関係者の皆様には厳しいスケジュールをご対応頂き、なんとかここまでたどり着きました。 新工場の建設費は国と県から補助金が支給される制度(通称グループ補助金)を活用しています。当初、何が何でも平成24年度中(2013年3月31日)までの完工でないと補助金が下りないという縛りがありましたので、材料不足・人材不足で計画通りにはいかない現状を、なんとかみなさんが頑張って下さいました。
(補助金制度の工事期限はその後、若干緩和されるようになり事業者にとって使いやすい制度になりました)
 建屋の完成を待って、新品の厨房機器やパック詰め機械に冷蔵庫など生産に最低限必要な機器を据付け、4月22日(大安)に新工場稼動となりました。 製造はベテラン従業員を中心に6名、そして4月から入社しました事務兼庶務を含む新人3名の総勢9名が工場を切り盛りしてくれます。
(ちなみにこのくらいの規模でも旧・歌津町のなかではベスト10に入る従業員数を誇ります)

(工場前での再出発 記念写真)

 ● 2013年5月…新工場での商品復活―難題が山積み
 待ちに待った新工場が出来、新しい環境に少しずつ慣らしていきながら歌津小太郎の商品を復活させております。加工品のうち早期に復活したのが「陸中漬」(くきわかめの漬物)と「磯人漬」(海藻4種類の和え物)。
5月末には、お客様からのリクエストの多い「さんま昆布巻」も試作してみました。ところが…
何十年も昆布巻を作っているのになんと大失敗! 同じようなレシピで同じように作っているのに違う。理由は簡単、さんまも昆布も納得のいく素材を揃えられなかったのです。震災前のこれらの原材料は、取引先もその産地もまだ復興しておらず手に入りません。 さあどうするか!

 ● 2013年6月…理想の昆布は案外すごく近いところにありました
 納得のいく材料を探し、小太郎社長も私も北は岩手県大船渡から南は宮城県石巻まで、三陸海岸を右往左往。解決策はなんと被災地応援ファンドの中にありました。30年来のおつきあいのあるタツミ食品遠藤社長から「こぶ巻にするならあのしたづ(あの人たち)の昆布が最高だ!」とご紹介いただいたのが鵜の助さん。そう、“鵜の助4人の漁師ファンド”の彼らの昆布でした。

タツミ食品、遠藤社長の写真 (タツミ食品 遠藤社長と小太郎社長)
詳しくは企業秘密で申し上げられないですが、簡単に言うと、昆布巻に適した昆布というのは、肉厚で弾力があるにも関わらず、柔らかくなけれがばならないため、昆布の刈り取り時期や養殖をする海域など、特別な条件で水揚げされた昆布だけを用意してもらいました。
しかし昆布は手に入っても昆布巻のもう一つの主役、さんまは手に入りません。シーズンとなる9月までは昆布巻の生産を断念することにしました。

(鵜の助の皆さんと小太郎社長)

●2013年7月…歌津におしゃれなカフェがオープン―歌津の元気発信基地 7月の出来事ですが、まずは千葉家の身内のことではありますがとても嬉しいことを 一つご紹介します。次男の馨(カオル。私=孝浩の弟)が夫婦でカフェをオープンし ました。旧・歌津小太郎工場のあった海岸を見下ろせる高台です。

 なぜ突然カフェの話か…きっかけは震災なのでした。馬場中山地区の200人が暮らす 避難所に震災ボランティアとしてやってきたのがカオルの奥さんカナエさん。東北に は全く接点がなかったのに報道を見ていてもたってもいられないと、妹のナナコさんとともに横浜からやってきました。女性ならではの細かい気配りで支援してもらい、何度も何度も継続的に歌津に訪れて、我々の避難生活を明るく盛り上げてくれました。誰が名づけたか「草刈り姉妹」。我々の手の回らない雑草退治を汗だくになりながらやってくれる姿に賞賛の気持ちと親しみを込めつけられた名前なのでした。

(草刈姉妹の二人)

 ただ彼女達が活躍できるようになるには最初の頃は問題が―歌津のおじいさん・おば あさんたちの強い方言が理解できなかったのです。その“通訳役”となったのが弟・ カオル。ここから先は長い話となるのでこのくらいで割愛しますが、詳しくはカオル が運営するホームページ“馬場中山カオル商店”をご覧下さい。

 カオル&カナエさんの“カフェかなっぺ“は馬場中山の地元の方と遠方から訪れる方 が集まれる場所を用意することで活気づけていくことを目指しています。早速「馬場 中山に行ってみようプロジェクト」を立ち上げ、さまざまな仕掛けをご用意していま す。こちらもぜひ見守って下さると嬉しいです。

(カオル&カナエ)

 さて、歌津小太郎の活動に話を戻します。
7月30日にはミュージックセキュリティー ズさんの企画で3事業者合同の被災地応援ファンド事業者報告会を開いて頂き、40名 ほどのみなさんに現在の歌津小太郎の状況を説明させていただきました。八木澤商店 の河野さんや寒梅酒造の岩崎真奈さんにも初めてお会いしました。我々は工場を再建 したばかり、次々に新しい課題に直面しているのですが、他の事業者の方も同様に悩 みをかかえていること、そんななかでもファンドの出資者の方の強力な応援に助けら れていること…事業者として同じような痛み、同じような志を、みなさんがお持ちであることを確認し、想いを分かち合えた貴重な機会となりました。

 ● 2013年8月…はすだの皆さんと再会
8月24日、昨年に引き続き埼玉県蓮田市の「はすだ市民祭り」に南三陸町の地域を代表して特産品の販売を行いました。
 震災直後から南三陸町歌津馬場・中山地区に支援に入っていただいた「はすだ支援隊」の皆さんにはこの2年半、お世話になりっぱなしでした。
(詳しくは歌津小太郎ホームページの活動日記2012年7月1日) 昨年は歌津小太郎の商品としては半加工品の「湯通し塩蔵わかめ」だけしかお持ちできなかったのですが、今回は封を開ければすぐに食べられるご飯のお供、「陸中漬(りくちゅうづけ)」と「ひと味ぼれ(ひとみぼれ)」もお持ちしました。
海のない埼玉県蓮田市の皆さんと、海の幸だけはどこにも負けない宮城県南三陸町の私たち。直線距離で350kmを超える距離、震災前は何の接点もなかったこの二つの地域ですが、地域ぐるみの大きな親戚同士みたいなおつきあいが続いています。

(埼玉県蓮田市 中野市長さんと、はすだ支援隊の皆さん)

● 2013年9月…さんまを待ちわびる日々―そして“昆布巻 復活!
“ 9月は想定外の問題が発生しました。例年この時期は、初物のさんまを使って「さんまのこぶ巻き」のフル生産体制に入るのですが、肝心のさんまが来ないのです。鵜の助さんの昆布を用意して準備万端の体制で臨んでいたのに! 今年は海水温が高い状態が続き、さんまが南下してくるのが遅くなったのです。
 この間、仙台・藤崎/歌津小太郎売り場では、うまいものの時期を知っている常連のお客様が「昆布巻はまだ…?」と何人もやってきました。ここに来て看板商品である昆布巻をさらにお待たせすることになるとは…。
最終的には計画よりも3週間ほど遅れて、9月下旬からさんまの昆布巻作りに取りかかりました。藤崎に訪れる歌津小太郎ファン(特に昆布巻ファン)のお客様たちには、9月の終わり頃ようやく昆布巻をお届けすることが出来ました!
「この味を待っていたのよぉ!」
お客様のお声を頂き、ようやく歌津小太郎復活の第一段階をクリア出来たように思いました。製造を担うベテラン従業員さん達も、長年培った自分たちの技術が、まだまださびれていないことを確認できて、ほっと一安心といった感じでもありました。

(仙台藤崎 店頭の様子)

 ● 2013年10月…そして今の状況は “歌津小太郎こぶ巻ファンド“。ファンドの名前に掲げている看板商品のこぶ巻が2年7ヶ月ぶりに店頭に戻ってきました。出資者のみなさんにも真っ先のお届けしたくて、フル生産を行いまして、なんとか10月中旬までに出資者特典を発送し終えることが出来ました!


現時点で500名強の方々が歌津小太郎を応援して下さっています。商品の大半を仙台の百貨店の売り場で対面販売していた“歌津小太郎“ですから、これまで知らなかった出資者の方のほうが多いのではないかと思います。名も知らぬ小さな水産加工会社の我々を、永く応援してくださる皆さんのお一人お一人にご挨拶したい気持ちを込めて、自信作の昆布巻をお送りしました。

 うんと長くなってしまいましたので、後編はここまでに致します。工場を再建した、看板商品の昆布巻を作れるようになったものの、生産設備の規模は震災前の半分以下、こだわりの原材料はなかなか揃わない、そんな状況ですので、登山に例えるとようやく3合目にたどり着いたくらい。震災前の状態に戻るにはまだまだ上り坂が続きます。

 しかし我々歌津小太郎は、従来からのお客様にお取引先様、震災後にご縁が出来た歌津地区&歌津小太郎を応援する全国の応援団、さらに応援ファンドの皆さまと多くの方が応援してくださっています。

今後も、皆さまからの厚い信頼にお応えできるよう、自分たちにしか作れない「三陸のうまいッ」を心を込めて作ってまいります。そしてお客様には、うれしくなるような感動を、従業員には、うれしくなるようなやりがいを創造していく企業を目指して、地域と共に発展してまいります。

これからも応援よろしくお願いします!!



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(宮城県南三陸町)
歌津小太郎こぶ巻ファンド(1口1万500円)の詳細・お申込はこちら:
皆様の資金は、
昆布巻、めかぶ漬等を製造する工場の設備費用や、原材料の購入費用等に充てられます。

 


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被災地からのレポート2013年10月19日 10:36

歌津小太郎の復活物語(前編)2012年7月まで

”歌津小太郎こぶ巻ファンド”の有限会社橋本水産食品の千葉孝浩です。
9月下旬からようやく看板商品の昆布巻をみなさんにお届けすることが出来るようになりました! あの震災の日から2年と7ヶ月。ここに至るまでの出来事を簡単にご紹介したいと思います。(ちょっと長くなっちゃいました…)

≪みなさん館 歌津小太郎コーナー≫


(10月から歌津小太郎 専用コーナーが設けられました!)


(復活したさんま昆布巻です!!)



(みなさん館スタッフ 酉抜(トリヌキ)さん 2013/10/18)

まず震災前の歌津小太郎はどんな風だったか、一言で申しますと創業者の千葉小太郎が“漁師が食べている「うまいッ」を、限りなくそのままお届けする”ただそれだけを追求してまいりました。昭和50年に漁師と兼業しながら、わかめの塩蔵品などの半加工品や、味付けした「めかぶ」や「くきわかめ」といった加工品を作るようになりました。当初は盛岡のスーパー等で「むきホヤ」を直接納品に行ったり、近くの産業まつりなどの物産展のイベントに出店したりと、そんな商売をしていました。
やがて私たちが作る味が評判となり、仙台の老舗百貨店の藤崎さんにお声がけ頂き、常設の店舗を構えるようになったのが平成5年。その時に、私たち自身のブランド名を作り、その名前を「歌津小太郎」と名付けました。
その後も、徐々に歌津小太郎の味が評判となり、週に一度は必ず足を運ばれるようなファンがつくまでになりました。加工品の中でも、煮物製品の味に高い評価をいただくようになり、特に昆布巻が人気でして、年間を通じて一番みなさんに愛される看板商品でした。本当に本当に順風満帆でした。

会社概要: 有限会社橋本水産食品(商品ブランド名: 漁師歌津小太郎)
震災前の住所:宮城県本吉郡南三陸町
(旧・歌津町)歌津字馬場82  (本社、兼自宅)
字中山59-4(工場) ※海まで5歩
震災後の新工場住所:南三陸町歌津字管の浜55-1
従業員数(社長も含む): 14人
取り扱い商品: 季節商品も含め全8品目
代表商品 こぶ巻(さんま・にしん・さけ)、めかぶ漬、陸中漬 など
販売チャンネル:  仙台・藤崎における直営店舗での対面販売       7割
提携先 ㈱カドヤ加藤物産による首都圏の百貨店での対面販売 2割
その他催事販売など  1割
震災前の3年間の平均売上額:  1.1億円 

なお、小太郎社長は昭和60年頃までは漁師との兼業を続けていましたが、加工・販売が軌道に乗ってからは周りからの勧めもありまして、50代で漁師を引退しました。(本人は続けたかったらしいですが、年齢・体力的に社長業との兼業はムリということで…)

歌津小太郎は現代には珍しい“対面販売”でほとんど売り上げるという昔ながらの商売をして参りました。私自身も仙台/藤崎の歌津小太郎コーナーの責任者として、売り場に立ってお客様と商品のご説明に、世間話にと楽しみながら販売をしていました。時代遅れのビジネススタイルかもしれません。しかし、震災後はそれが歌津小太郎を再建に導いたのです。

では、ここからが震災のあの日からの出来事になります。

●    2011年3月11日(金)14時46分地震発生からの2週間
その日、歌津小太郎工場では社長の千葉小太郎、専務の私(孝浩)も不在の中、従業員の12名は散り散りになりながらも、逃げ延びました。地震発生時、仙台にいた私が歌津にたどり着いたのは2日後の13日深夜、従業員全員の無事を確認出来たのが、それから一週間後のことでした。
海の目の前に建っていた工場は高さ、15mを超える津波に跡形もなく流され、海岸から200mほど入った、馬場地区にある自宅は流されはしなかったものの一階の天井まで津波を被り全壊の判定となりました。
さらには、自社の生産資源だけでなく、原材料と製品の委託保管先でした冷凍庫会社も全壊し流失しました。全て失ってしまい事業再建を断念せざるを得ない状況に、再起と再開を誓い合いながらも、従業員の生活を守ることを最優先に判断した結果、断腸の思いで離職証明書(←これにより失業保険が得られる)を手渡しました。一番長い方では勤続30年を超える方など、歌津小太郎とともに歩んで来てくださったみなさんでした。歌津小太郎の存在が無くなってしまった瞬間でした。

≪津波が工場襲う瞬間≫


2011年、お正月の爆弾低気圧の写真                (2011/01/01/ 16:17)

ここからが、3月11日の写真です。


(2011/03/11 15:20)


(2011/03/11 15:21)


工場は基礎ごと津波で流されました。        (2011/03/11/ 16:26)

●    2011年4月~7月
震災当時の報道で、みなさんもご覧になったと思いますが、南三陸町は庁舎も壊滅的な被害を受けました。従って震災後の数ヶ月は会社の再建に必要な手続き、例えば新工場を建てるには様々な届出が必要ですが、そういった手続きは一切進めることができませんでした。それ以前に最低限の生活を送ることもままならなかったのです。震災から3週間ほどたった日の夜、自宅1階はぐちゃぐちゃでしたが、津波の被害から逃れた2階で、私と親父、弟の3人で会社のこれからや、家族のこれからについてロウソクを囲んで本音で話し合いました。事業を再開するには工場の再建よりも前に、地元の漁業の復興が不可欠であること、大切な家族や身内の方を亡くした方たちが身近にたくさんおられたことなど、今は自分たちの事をするよりも地域のことに専念するべきと意見がまとまり、「私たち家族は、これからの1年間は地域に貢献することを仕事とする。」という結論に至りました。


(自宅1階の写真 2011/03/13)


(馬場、中山生活センターの写真 2011/04)

詳細は、歌津小太郎ホームページの活動日誌(2012年7月1日版)で沢山の写真と、どんなに感謝しても足りないくらいお世話になった皆さんの姿を紹介しています。

震災直後から地域の人々、約80世帯・200人が共同生活を送ったのが馬場・中山生活センターです。地域の中でも高台にある公共施設でして、ここは津波を被りませんでした。
私はこの避難所で避難生活を送りながら、物資調達班としてガソリン不足の中、仙台の宮城復興支援センターに何度も伺いました。歌津小太郎の仕事で仙台-歌津の往復に慣れていましたのでこの任務を自然に分担していただいたわけです。とにかく生活のすべての物資が足りませんでしたから、日本中からの支援物資が大変にありがたかった!なかでも、我々の避難所は歌津小太郎のご縁で、仙台/藤崎百貨店さんのネットワークで様々な物資を我々の避難所宛に直接ご支援頂くなどありましたので、避難所のなかでは恵まれていたように思います。

この間、避難所の男達が何をしていたか…なんと地域の人々とボランティアの方で未来につながる道“未来道”を行政主導ではなく自分達自身で作っていました。 私たちが計画した“未来道”は「今後いつかはまたこのような災害が必ず来ることを、私たちの子孫に伝えるためにも、救急車が国道から通れる道をつくって将来にそなえよう。」と言う最低限、自分たちの命だけは守れる地域の大事な財産として建設しました。
(※未来道の詳しい内容についても、2012年7月1日版をご覧ください)

●    2011年8月
全壊の判定を受けながらも、なんとか持ちこたえた自宅は、ボランティアの方々や、地域の皆さんの協力で瓦礫がキレイに撤去されましたので、その後、知り合いの大工さんにもお願いして、当面は人が住める状態まで直してもらい、自宅での生活に戻りました。
このころには馬場・中山生活センターに当初避難していた200人の人々も徐々に少なくなり、8月中旬には、全ての方が仮設住宅に住めるようになりました。
また、役場のほうも落ち着きを取り戻しましたので、復興に向けた対応を取れるようになってきましたので、歌津小太郎もようやく再建に動き出しました。

●    2011年11月
事業再開に向けて申請していたグループ補助金(3次募集)が、採択を受けて本格的に歌津小太郎が再出発できる環境を模索し始めました。中でも、工場の建設地がなかなか決まらずに、何度か暗礁に乗り上げそうになりました。地権者の方との賃貸借契約を済ませたのは、申請書類の提出期限2日前でした。


(工場予定地の写真 2012/09)

●    2012年4月
新工場の設計図面が出来上がり、いよいよこれからという段階になって、工事費の大幅な高騰や、町の復興計画の遅れによって、計画の見直しを強いられることになります。そんな絶体絶命の時に、工場の設計を始めから見直すことから引き受けていただいたのが、仙台の針生承一建築研究所の針生承一先生です。特に建設資金に問題を抱えていたため、針生先生からの強い勧めもあって、今回取り組んでいる、ミュージックセキュリティーズ㈱ 「被災地応援ファンド」に取り組もうと決意しました。今思うと、歌津小太郎のターニングポイントはこの時でした、ピンチからチャンスに状況が大きく変わったのは…

●    2012年6月
ひさしぶりに元従業員のみなさんに集まってもらいました。会社再建に向けての話し合いのためです。
仙台/藤崎デパートさんのご好意で、工場もない我々のために短期間ですが販売会を開催していただくことになり、自宅の台所で出来る範囲での商品作りを行うことになったのです。
元々、漁師の食卓にのぼるおかずを商品化したわけですから、台所でも商品は作れるのです! 出来る範囲からの再建の大きな一歩になりました。
話し合いののち、元の工場の場所に行きました。地盤沈下により半分は海面下となってしまった敷地で再起を近い写真撮影をしたのがこの写真です。みんな嬉しそう!自然と笑顔になりました。


(2012/06)

工場建設に関してですが、地元、南三陸町の山庄建設㈱の協力もあって、海岸より1kmほど内陸にはいった管の浜(くだのはま)という地域に建設することになりました。
歌津小太郎の工場に隣接して、南三陸直売所「みなさん館」を建設することも決まり、6月中には地鎮祭が執り行われました。こちらは公益社団法人アジア協会アジア友の会さんにご協力頂きここまでたどり着きました。完成後にはもちろん歌津小太郎の商品も扱っています。


(みなさん館オープンの写真 2012/10)

そして6月28日、この日からミュージックセキュリティーズさんによる“歌津小太郎こぶ巻きファンド”の募集を開始しました。

●    2012年7月
自宅の台所で作った商品で1年4ヶ月ぶりに仙台/藤崎B1階の“歌津小太郎コーナー”が復活しました。7月12日-16日の5日間だけ、商品も「三陸歌津産湯通し塩蔵わかめ」だけですが大きな一歩でした。顔なじみのお客様と沢山の再会に目頭が熱くなりました。
これが実現したのは藤崎さんの多大なるご支援ですが、そのバックには歌津小太郎ファンのみなさんの多大なるお力添えがありました。


(藤崎、売り場写真 2013/03/11)

詳細は、歌津小太郎ホームページの活動日誌(2012年7月7日、11日、19日版)をご覧下さい。
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簡単にまとめようと思いましたが、これまであまりに沢山の出来事がありまして、みなさんのお力添えに感謝する気持ちを全部お伝えしたくて、長くなってしまいました。
前編はここまでにしまして後編に続きます。
今回の記事の多くの部分は歌津小太郎ホームページの活動日誌にも詳しく掲載されています。合わせてご覧下さいませ。

震災支援で大変お世話になった皆さんです。(ほんの一例です)


(宮城復興支援センターの皆様と地域の皆さん 2011/04)


(福井県建設業会の皆様 2011/07)


(埼玉はすだ支援隊の皆様 2011/08)


(神奈川県座間市 ㈱かおる建設工業の皆様 2011/08)


(仙台市 ㈱藤崎百貨店の皆様 2011/04)


>>後編を読む




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(宮城県南三陸町)
歌津小太郎こぶ巻ファンド(1口1万500円)の詳細・お申込はこちら:
皆様の資金は、
昆布巻、めかぶ漬等を製造する工場の設備費用や、原材料の購入費用等に充てられます。

 

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被災地からのレポート2013年10月9日 11:07

感謝祭

2013.10.6(日) お隣の南三陸直売所・みなさん館では、
1周年感謝祭が開催されました。



昨年のオープンより、多くの皆さんから暖かいご支援と
ご愛顧をいただいたおかげで、1周年を迎える事が出来ました。

この日も多くの皆さんに足を運んでいただき、
本当にありがとうございます。




秋と言えば、食欲の秋!(^-^)

今が旬のサンマ焼きやホタテ焼き、豚汁が登場!








皆さん、自然と笑顔がこぼれていました!(^^)!




杵と臼を使った昔ながらの餅つきもあり、
つきたてのお餅が皆さんに振る舞われました。


(・・・おじいちゃんと一緒に、「よいしょ!」)

この日は、トラ模様のネコまで登場!!(このネコはしゃべります。)


(・・・只今、子供達はとらネコとたわむれ中!
その後ろでは、餅つき中!)     

 
また1周年を記念して、みなさん館前には顔出し看板が出来ました。



 お買い物に来た際には、是非、記念撮影してけさいーん(*'▽')

(記事担当:渡邊)

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