えこふぁーむニュース

社長コラム2009年11月19日 16:09

「中国雲南省の旅 (日本人のルーツを求めて)」

中村 義幸

 
平成15年2月8日(土)~2月15日(土)の一週間、鹿屋市国際交流協会主催のツアーに親子三人で参加してきました(総勢28名、8歳~72歳)。(鹿児島←→上海の直行便が週に2便あります)

目的地は、中国の西南部に位置する雲南省で、ミャンマー・ラオス・ベトナムに国境を接していて少数民族の宝庫といわれている地域です。
省都?は昆明(人口370万人)で、足をのばして大理(人口42万人)・麗江(人口30万人、標高2,400㍍)まで行って来ました。

中国東方航空の座席に着くと、早速中国語が目に飛び込んできます。「安全帯」(シートベルト)、「救生衣」(救命胴衣)、「在座椅下」(座席の下に在る)。機内誌の広告欄には「労力士」(ロレックス)。


現地ガイドの話によると、現在の中国の総人口は13億人で、戸籍の無い人がこの他に3億人居るという壮大なお話でした。

三日目、数名の方が高山病と下痢で入院するといったハプニングもありましたが、私共は鈍感なのかピンピンしておりました。
たしかに、頭は痛くなりましたし(空気が薄い?)、日本から持参したスナック菓子の袋は気圧の変化の為、パンパンに膨れ上がっておりました。

「日本人のルーツを求めて」というテーマでしたが、箸は当然のこと、雅楽に使用する楽器の「笙(しょう)」、鳥居の原型?、狛犬(こまいぬ)等、今の日本にみられる物を一杯見ることが出来ました。

今回通訳を兼ねて同行した、鹿児島に来ている中国人留学生の実家(人口700人の村、白族)にも寄りましたが、村総出の大歓迎を受けてビックリでした。
千人分の料理を準備されたそうですが、完食したそうです。
(現地の人にとって、御馳走はお正月・結婚式・お葬式・来客の時だけらしい)

民族衣装をまとって沢山の踊りを披露してくれたのですが、その中の棒踊りのリズムと舞いが、鹿児島の踊りと似ていると年輩の方が話していました。沖縄の建造物にソックリの建物もありました。

京セラの稲盛会長(鹿児島出身)や京大グループの梅原猛先生等が、第5の世界文明になるかもしれない「長江文明」の遺跡発掘に尽力していますが、今回、私共は長江(揚子江)上流の少数民族の一部がその昔、騎馬民族や漢族の迫害を受けて川沿いに逃げ、海を隔てて琉球諸島や九州にたどり着いたのではという仮説をたてて参加したのでした。

結論としては、断定は出来ませんが充分その可能性はあるという確信は持てました(あくまでも素人判断です)。

沖縄に住む人には「蒙古斑(お尻の青いアザ)」がある人と無い人が居るようなので、中国大陸から渡ってきた人と南の島のポリネシアやミクロネシアから渡ってきた人が混在しているのではないかと思われます。
http://www.iris.dti.ne.jp/~muken/

 

上海国際空港までは約一時間半で、東京←→鹿児島間よりも近いくらいです。

国際空港(浦東空港)から国内線用の虹橋空港迄の移動中、天気は晴れているのに薄曇り状態でした。スモッグの影響だと思います。

上海ではリニアモーターカー(ドイツ製)の試運転中で、完成すると35㎞の区間を7分間で結び、料金は2500円ということでした。

 

高速道路は「快速道路」と呼ばれ、制限速度は120㎞/hです。舗装はあまり良くなくバスは跳ねるように揺れて、帰国後メモ帳の文字を読もうとしても、自分の字なのに判読不能状態でした。

途中、アパートの窓からは棒が二本突き出され洗濯物がはためく光景が見受けられました。

一万円を両替すると680元でした。一元がおよそ15円の換算です。定番の自転車はさすがに多かったですが、昔懐かしいボンネット型トラックが走っていました。ハンドル部分がオートバイ型のオート三輪も頑張っていました。田舎へ行くと馬車(ロバ)や耕運機型のトラックも多数見ることが出来ました。
「汽車」(自動車)、「火車」(列車)。

タクシーはフォルクスワーゲン・アウディ・シトロエンが多いです。日本車はほぼ全メーカーのものを滞在中に見ることが出来ました。(すべて左ハンドル)
ナンバープレートの数字はお金を出すと好きな数字をリクエスト出来、人気のある数字は「8」(財が貯まるという言葉と通ずる)と「6」(物事がうまく進むという言葉と通ずる)です。

ガソリンは三元の表示があったので45円/㍑くらいです。「中国石化集団」というスタンドが多いようです。給油機が24基くらい並ぶ大きなスタンドもありました。

ビールは色々な現地メーカーが出しておりますが、350ミリリットル入りの缶で60円くらいです。ホテル内では約150円でした。アルコール度数は4%未満のものが

ほとんどで、現地で生産されている「アサヒビール」も3%代でした。

 

麗江の食堂の値段表示は5元前後だったので、一品あたり75円程度です。


ドアの表示、「推」(押す)・「拉」(引く)。

 

上海あたりの大都市で働く人の月給は約3万円ということでした。地方都市になると1万円、田舎になると1万円以下です。家賃は千円/月。

10年間勤務すると80㎡のアパートを国から貰えるそうです。定年時には広いアパートを貰えるそうです。チャッカリして、貰ったアパートを人に貸して家賃収入を得る人もいるそうです。マンションも建設ラッシュでしたが、100~120㎡で一千万円と高額で、別荘(一戸建てのこと)になると二千~三千万円ということでした。

(上海市内)

途中、絹工場の見学をしましたが春産の繭(まゆ)一個から1200㍍、秋産の繭からは600㍍の絹繊維がとれるそうです。

一人っ子政策ですが、双子とか三つ子の場合は認められるそうです。うろ覚えですが、お金を出すと二人目以降もOKだったような・・・。(メモ帳判読不能)
戸籍のない子供達は、学校に行くことが出来ないそうです。

ゴルフ人口は少なく、グリーンフィが2万円です。

街並みで一番最初に目に付いたのが、街路樹の下部1㍍くらいを白く塗られていることでした。聞くところによると石灰で、虫除け効果と夜間ヘッドライトで反射して交通事故防止になるんだそうです。
食事は中華料理店でお馴染みの円卓でしたが、料理は残すのが美徳らしいです。つまり食べきれないほどの接待を受けたという意味です。昆明では芋虫と蜂の揚げ物が出ましたが、見た目を気にしなければポテトチップス感覚で美味しかったです。小三の息子もチャレンジしていました。

中国の料理が辛かったり油っこかったりする一つの理由は水が悪いせいだと

思います。日本料理のようなおひたしとかお吸い物とか繊細で微妙な味は出せ

ないのだと推測しました。

 

中国国内には56民族が居て、雲南省内には26民族住んでいるそうです。

イ族は酒に強く、虎を崇拝しています。家を訪問すると玄関先で先ず三杯お酒を飲むのが礼儀だそうです。(酔っ払いを大虎、駆けつけ三杯はこの辺が起源??)
結婚するにあたり、男性は三年間婿入りして嫁家族のために働き、それが済んでからは一切働かなくて良いそうです。

タイ族の男性は7~15歳まで出家してお坊さんにならないと男になれないそうです。建物や門には孔雀の彫刻がありました。

ナシ族の男性は、結婚前にひたすら人馬の如く働き、家を建てて嫁を迎えてしまうとその後は一切働かなくて良いそうです。

 

中国の田舎といえば「ニーハオトイレ」です。仕切はありますがドアがありません。こちら向きにしゃがんで用を足しますが最初は抵抗がありました。旅行の終わり頃になると「人に見られないと用が足せない」と豪語する御婦人メンバーもおりました・・・。カミさんの話によると、現地の若い女性は新聞を読む振りをして顔を隠していたそうです。「頭隠して尻隠さず」の意味もよぉ~く理解出来ました。

 

中国人留学生が通訳を兼ねて同行していたので、彼の出身大学である昆明の「雲南農業大学」を表敬訪問しました。農業大学ですが、体育学部・外国語学部・人文社会学部・経済貿易学部・基礎情報学部を備えた総合大学でした。戴(ダイ)副学長が迎えてくれました。日本からの留学生も在学しているそうです。

中国には農民が10億人居るので、指導的立場の人材育成・農業技術の全体的な把握と普及、社会への貢献、中国全土に知識と技術を発揮させる。環境破壊・汚染防止。生物多様性の保護。砂漠化防止等々を目的にしているそうです。
WTOに加盟したので、国益のために世界標準を睨みつつ競争力を付けるのが今後の課題と言っていました。

雲南省だけで中国全土の動植物種の半数以上を保有しているので、農業近代化の過程で貴重な品種を絶やさないように配慮していくそうです。
蜜蜂・ハチミツ・ローヤルゼリーの研究にも力を入れており、製品の即売所もありました。日本企業とも共同研究しており、100万元(約1500万円)の寄附を受け、「山口喜久二ローヤルゼリー科学研究室」と個人名を冠した真新しい研究棟が建っていました。 http://jrj.co.jp/index2.html

 

大学構内の桜並木は2月というのにすでにサクランボの実が付いていました。

ツツジが咲き、ブーゲンビリアも満開で季節感というか、暑いのか寒いのか判らなくなりました。

麗江近辺は東洋蘭(春蘭・寒蘭)の産地らしく一株数百万円もする品種もあるそうです。

畑の土の色は煉瓦色の赤土です。粘土質なのかホクホクとした感じがありませんでした。

山間地では段々畑や棚田が多く、信じられないような高所や斜面まで耕作していました。耕運機は見あたらず、鍬一本で畑を耕す人の姿がほとんどです。
道路の工事現場でも人海戦術で頑張っていました。大きな樹木や森林はほとんど見られませんでした。

日本に帰ってきて感じたのは鬱蒼とした杉山の緑の濃さと多さです。

ナシ族では東巴(トンパ)文字という象形文字が今でも使われています。
http://www.chokanji.com/tompa/index.html

 

帰国して静かだと思ったら、車のクラクションの音が無いためでした。中国では高速道路に限らず、追い越す時には必ずといって良いほどクラクションを鳴らしまくります。

滞在中、2/14のバレンタインデーを迎えましたが、「情人節」といって中国でもチョコレートを売っていました。
買い物をする時には半値位まで値切るのが当たり前で、ウチのカミさんは味をしめて定価から三分の一、四分の一への値段交渉の過程を楽しんでいました。
旧暦の正月(春節)が本格的なお正月のお祝いで、今年は2/1から一週間ほどお休みでした。旅行中、お正月の飾りが街中で見ることが出来ました。車にも赤い布をつけて走っていました。民家の玄関の両脇にはおめでたい文字を並べた紙が貼ってありましたが門松らしきものは見あたりませんでした。

商店は一間半ほどの間口でハーモニカの吹き口のように並んでいました。
中には潰れたようなお店や倒産したようなホテルも見受けられました。
共産国なのに倒産とは奇妙な印象でした。現地のガイドさんに競争原理が入ってきて、やりにくくなったのでは??と尋ねると、逆に成功するチャンスもあるのでやりがいがあるとの答えでした。

そのガイドさんは毎朝、ホテルの両替所のレートをチェックしていて一喜一憂していました。お金に関してはシビアな感覚を持っています。

18年前に新婚旅行で中国に行った時には、人民服も多く、男性も女性も同じデザインの黒ブチ眼鏡をかけていましたが、今では非常にファッショナブルになっていました。ただし、スカート姿の女性は滞在中一人しか見ませんでした。

ホテルやレストランの係りの人も、以前は愛想も悪かったですが、現在は
サービスというかホスピタリティ(もてなし)が格段に向上していました。

隣国とは地続きで接しているため防衛というか防御に対する感覚が日本と違い、大抵の家は塀で囲まれており、塀の上には尖ったガラスが埋め込まれていました。

全体的な印象としては、中国は一つの国としてみるのは難しいナということです。56もの民族が住んでいて、ウイグル自治区などでは目の色も言葉も違うそうです。
裸足で歩いている人からリニアモーターカーまで何でもアリです。

ホッとするような日本の原風景があるかと思えば、発展のエネルギーに満ち溢れた大都市もあります。

バリアフリーとかリサイクルといった面ではまだまだ途上のようでした。


国を治める為政者にとっては大変なご苦労があると思われます。
その点、日本は海に囲まれていて、国土面積も人口も生活水準もそこそこバランスが取れていて政治家にとってはやりやすい国なのでは??と感じました。

反面、外交音痴なのもうなずけました。

 

以上、記憶を辿っての旅行記でした。                  

謝々、多謝!!

 
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