歌津小太郎こぶ巻ファンド ファンドニュース

2017年6月1日 18:00

歌津の漁師のおかあちゃん

”歌津小太郎こぶ巻ファンド”の有限会社橋本水産食品の千葉孝浩です。
今回は、これまでにもときおり質問を 頂いていた話題ですが、小太郎社長夫人で歌津小太郎の製品の味を全て決めているあさ子へのインタビューを中心にしまして、歌津の漁師のおかあちゃん達の姿をご紹介したいと思います。 

実は2014年2月には『小太郎社長インタビュー:歌津の漁師』というタイトルでご紹介していまして、戦前という時代に漁師町で生まれた小太郎社長の幼少期のインタビューを介して、歌津の昔の漁師の暮らしと当時の子供たちの様子をご紹介したのですが、それを公開した直後から、女性版と申しますか、あさ子のほうのストーリーも知りたいというリクエストを頂いていました。
しかし、自分の親に改めてインタビューするのも気恥ずかしいのと、読まれる皆さんの関心がどこにあるのか、身近にいる者としては非常にまとめにくいテーマだと思いまして、長く保留にしていました。 
 
その書きにくいテーマをちょっと工夫をしまして、あさ子へのインタビューはウチの製造スタッフ兼事務兼広報担当の渡邊に任せまして、歌津の昔の暮らしぶりと『食のこと』についてもイメージしてもらえればと思います。


=== 独占インタビュー === 

“小太郎社長の妻・あさ子さんの、(有)橋本水産食品が生まれるまで”

渡 邊:さて今回はあさ子さんに子供の頃のお話しから順に伺いたいと思います。 女性に年齢を聞くのは失礼ですが、インタビューという事でお許し頂いて、教えて頂けますか?

あさ子:はい、いいですよ!昭和18年生まれで、兄姉は五人。私は末っ子として生まれたよ。          
生まれも育ちも※旧歌津町(うたつちょう)・馬場(ばば)だね。          
※H17年に歌津町と隣町の志津川町が合併し、現在は南三陸町となっています。 



渡 邊:あさ子さんの幼少時代~中学校時代のお話をお聞きします。          
小さい頃はどんな遊びをしていましたか?                                       

あさ子:そーだねー、かくれんぼや石けり、お手玉、おはじき、縄跳び、馬っこ(まっこ)乗りかな~?

渡 邊:えっっ?馬っこ乗りってなんですか?

あさ子:人数が揃うと馬になる人と上に乗る人を決めて、下に落ちないように次々に飛び跳ねて乗ってい くの。落ちたり、馬の形がくずれるとやり直しする遊びだね。馬になる人は大変だよ。増えれば増えるほど重くなっから、つぶされてしまうっちゃ。 



※当時の『馬っこ乗り(飛び)』  Ieより

渡 邊:馬になる子は危ないですねぇ。 そんな中、浜生まれの浜育ちのあさ子さんは海とはどのよう関わってきたんですか? 

あさ子:そうだね~、 小学校三年生頃から両親と一緒に船に乗って行って天然のわかめの「わかめあげ」 を手伝ったなぁ。 
当時は半農半漁の生活だったから、学校に行く前に朝仕事として畑に行っては麦ふみをして、海に行ってはわかめあげをしてからでないと学校には行かせてもらえなかったんだよ!体を動かせばお腹もすくし、かと言って食べる物もないからね。自分の家の仕事の他にも手伝いに行ってはお米をもらったりしてね。
高学年になると、海藻とりやウニ・アワビの開口にも連れてってもらったりしてね。

渡 邊:子供なりの役割があって手伝いは必須だったんですね。

あさ子:そうだね、幼い頃から当たり前のようにしてきたから、これが(手伝い)糧となって、今があるようなもんだね。

渡 邊:手伝いの中にも女の子は台所の手伝いもあったと思うんですが、やはりこの頃から料理の手伝いがあったからこそ今の料理上手に繋がるんでしょうか? 

あさ子:いやいや、料理は結婚してからだよ。もちろん、台所の手伝いはしてたけどね。

 

渡 邊:そうなんですね!結婚という言葉が出ましたので、ここからは結婚してからのお話をお聞きしたいと思います。
         
小太郎社長と結婚したのは何歳の時ですか?  

あさ子:昭和41年だから、社長が25歳で私が23歳の時だね。
どちらの家も漁師の家庭でね。当時の千葉家は網差しや天然ホヤをやってたね。 それからかれこれ6年経って長男、孝浩(現在、(有)橋本水産食品専務)が生まれ、その3年後に次男、馨(現在、かなっぺ経営)が生まれたのね。
次男が生まれた年に、橋本水産食品として創業、その後(有)橋本水産食品として会社を設立。 有限会社になってからは私が、ほや、めかぶの原料を各浜に買いにトラックで歩いたね。 この頃のほやの味漬けは小太郎社長だったんだよ。 ある方のあるたれとの出会いがあってね、 その一品を応用して歌津小太郎の味を作り上げてきたの。 煮物や昆布巻なんかは私独自の味で味漬けしてたけどね。  それと、採った海藻は社長が市場へ売りに行ってね。


こんぶ炒り作成中のあさ子さん

渡 邊:そうだったんですね。
幼少時代から結婚後までのお話をお聞きする事ができ、ますますあさ子さんファンになりました。有り難うございました。

以上、渡邊がお届け致しました。


歌津小太郎の商品づくりのこだわりを一言で言えば「人」です。
もちろん新鮮な旬の素材や地元でしか食すことのできない料理法など、物「モノ」を通じ味や風味を表現するためのこだわりは当然あります。
しかしながら、この自然豊かな環境で生まれ育った私たちにしてみれば商品を作るうえで物へのこだわりは、当然に備わっている基本的な要素です。
それよりも、その自然を熟知している経験や素材の特性を引き立たせる熟練された技術こそ私たちが商品に吹き込まなくてはいけない者「モノ」としてのこだわりです。 

今回の記事はそんな私たちのモノづくりの一面を少しでもイメージが膨らむようお伝えできればと思い、歌津小太郎の味付けの原点を築いた創業者の人となりをご紹介しました。
現在、製造スタッフ10名ほどで毎日の商品づくりをより「いいモノ」にするべく作業工程を日々工夫し、作り手の立場を楽しみながら業務にあたっています。 

現在建設中の新工場も高度な衛生環境にするため、最新の設備が導入される計画で進めていますが、決して大量生産ではない、手づくりのやさしさが伝わる「モノづくり」にとことんこだわり、これからもお客様に必要とされる事業となるよう精進してまいります。


<あとがき> 

小太郎夫人のあさ子へのインタビューはいかがでしたでしょうか?

私も知らないことが沢山ありました。
最初に出資者の方にリクエストを頂いたときは、どんな記事が書けるか想像もつかなかったのですが、担当した渡邊がうまくその辺を引き出してくれたと感じています。 
おかげさまで工場を移転し、限られたアイテムから製造を再開して丸2年を無事に迎えることが出来ました。
水産加工に必要な海水の引き込みが依然かなわない状況の中、スタッフ一人一人が持ち得ている知恵と技術でここまでの商品を扱えることが出来ました。
もちろん未だにお客様からのご要望にすべてはお答えできていない部分に関しては、何よりも優先させなければいけない課題と捉え、今後は取り組まなければなりません。

正直なところ事業再開から、この半年ぐらい前までは私自身「焦り」、「迷い」、「弱気」と言ったマイナス思考的な考え方がどうしても頭の中の大半を占領していました。
もちろん今になってもこの要素は一つも解消できている訳ではありませんが、なんとなく上手に付き合うことが出来るようになってきた気が最近しています。
その要因は何なのかを自分に問いかけてみると「期待」、「信頼」、「覚悟」と言う前向きな気持ちを心に持てるようになってきたからなのかと感じています。 

これからも皆様からの力強い応援をなによりの原動力に、私たちの最大の武器であるスタッフ一丸のチームワークで自分たちにしか出来ないモノづくりに挑戦してまいります。 
これからも応援よろしくお願いします。

記事担当  インタビュー/渡邊笑美、 本文/千葉孝浩 
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