お知らせ 歌津小太郎こぶ巻ファンド

被災地からのレポート2013年10月19日 10:36

歌津小太郎の復活物語(前編)2012年7月まで

”歌津小太郎こぶ巻ファンド”の有限会社橋本水産食品の千葉孝浩です。
9月下旬からようやく看板商品の昆布巻をみなさんにお届けすることが出来るようになりました! あの震災の日から2年と7ヶ月。ここに至るまでの出来事を簡単にご紹介したいと思います。(ちょっと長くなっちゃいました…)

≪みなさん館 歌津小太郎コーナー≫


(10月から歌津小太郎 専用コーナーが設けられました!)


(復活したさんま昆布巻です!!)



(みなさん館スタッフ 酉抜(トリヌキ)さん 2013/10/18)

まず震災前の歌津小太郎はどんな風だったか、一言で申しますと創業者の千葉小太郎が“漁師が食べている「うまいッ」を、限りなくそのままお届けする”ただそれだけを追求してまいりました。昭和50年に漁師と兼業しながら、わかめの塩蔵品などの半加工品や、味付けした「めかぶ」や「くきわかめ」といった加工品を作るようになりました。当初は盛岡のスーパー等で「むきホヤ」を直接納品に行ったり、近くの産業まつりなどの物産展のイベントに出店したりと、そんな商売をしていました。
やがて私たちが作る味が評判となり、仙台の老舗百貨店の藤崎さんにお声がけ頂き、常設の店舗を構えるようになったのが平成5年。その時に、私たち自身のブランド名を作り、その名前を「歌津小太郎」と名付けました。
その後も、徐々に歌津小太郎の味が評判となり、週に一度は必ず足を運ばれるようなファンがつくまでになりました。加工品の中でも、煮物製品の味に高い評価をいただくようになり、特に昆布巻が人気でして、年間を通じて一番みなさんに愛される看板商品でした。本当に本当に順風満帆でした。

会社概要: 有限会社橋本水産食品(商品ブランド名: 漁師歌津小太郎)
震災前の住所:宮城県本吉郡南三陸町
(旧・歌津町)歌津字馬場82  (本社、兼自宅)
字中山59-4(工場) ※海まで5歩
震災後の新工場住所:南三陸町歌津字管の浜55-1
従業員数(社長も含む): 14人
取り扱い商品: 季節商品も含め全8品目
代表商品 こぶ巻(さんま・にしん・さけ)、めかぶ漬、陸中漬 など
販売チャンネル:  仙台・藤崎における直営店舗での対面販売       7割
提携先 ㈱カドヤ加藤物産による首都圏の百貨店での対面販売 2割
その他催事販売など  1割
震災前の3年間の平均売上額:  1.1億円 

なお、小太郎社長は昭和60年頃までは漁師との兼業を続けていましたが、加工・販売が軌道に乗ってからは周りからの勧めもありまして、50代で漁師を引退しました。(本人は続けたかったらしいですが、年齢・体力的に社長業との兼業はムリということで…)

歌津小太郎は現代には珍しい“対面販売”でほとんど売り上げるという昔ながらの商売をして参りました。私自身も仙台/藤崎の歌津小太郎コーナーの責任者として、売り場に立ってお客様と商品のご説明に、世間話にと楽しみながら販売をしていました。時代遅れのビジネススタイルかもしれません。しかし、震災後はそれが歌津小太郎を再建に導いたのです。

では、ここからが震災のあの日からの出来事になります。

●    2011年3月11日(金)14時46分地震発生からの2週間
その日、歌津小太郎工場では社長の千葉小太郎、専務の私(孝浩)も不在の中、従業員の12名は散り散りになりながらも、逃げ延びました。地震発生時、仙台にいた私が歌津にたどり着いたのは2日後の13日深夜、従業員全員の無事を確認出来たのが、それから一週間後のことでした。
海の目の前に建っていた工場は高さ、15mを超える津波に跡形もなく流され、海岸から200mほど入った、馬場地区にある自宅は流されはしなかったものの一階の天井まで津波を被り全壊の判定となりました。
さらには、自社の生産資源だけでなく、原材料と製品の委託保管先でした冷凍庫会社も全壊し流失しました。全て失ってしまい事業再建を断念せざるを得ない状況に、再起と再開を誓い合いながらも、従業員の生活を守ることを最優先に判断した結果、断腸の思いで離職証明書(←これにより失業保険が得られる)を手渡しました。一番長い方では勤続30年を超える方など、歌津小太郎とともに歩んで来てくださったみなさんでした。歌津小太郎の存在が無くなってしまった瞬間でした。

≪津波が工場襲う瞬間≫


2011年、お正月の爆弾低気圧の写真                (2011/01/01/ 16:17)

ここからが、3月11日の写真です。


(2011/03/11 15:20)


(2011/03/11 15:21)


工場は基礎ごと津波で流されました。        (2011/03/11/ 16:26)

●    2011年4月~7月
震災当時の報道で、みなさんもご覧になったと思いますが、南三陸町は庁舎も壊滅的な被害を受けました。従って震災後の数ヶ月は会社の再建に必要な手続き、例えば新工場を建てるには様々な届出が必要ですが、そういった手続きは一切進めることができませんでした。それ以前に最低限の生活を送ることもままならなかったのです。震災から3週間ほどたった日の夜、自宅1階はぐちゃぐちゃでしたが、津波の被害から逃れた2階で、私と親父、弟の3人で会社のこれからや、家族のこれからについてロウソクを囲んで本音で話し合いました。事業を再開するには工場の再建よりも前に、地元の漁業の復興が不可欠であること、大切な家族や身内の方を亡くした方たちが身近にたくさんおられたことなど、今は自分たちの事をするよりも地域のことに専念するべきと意見がまとまり、「私たち家族は、これからの1年間は地域に貢献することを仕事とする。」という結論に至りました。


(自宅1階の写真 2011/03/13)


(馬場、中山生活センターの写真 2011/04)

詳細は、歌津小太郎ホームページの活動日誌(2012年7月1日版)で沢山の写真と、どんなに感謝しても足りないくらいお世話になった皆さんの姿を紹介しています。

震災直後から地域の人々、約80世帯・200人が共同生活を送ったのが馬場・中山生活センターです。地域の中でも高台にある公共施設でして、ここは津波を被りませんでした。
私はこの避難所で避難生活を送りながら、物資調達班としてガソリン不足の中、仙台の宮城復興支援センターに何度も伺いました。歌津小太郎の仕事で仙台-歌津の往復に慣れていましたのでこの任務を自然に分担していただいたわけです。とにかく生活のすべての物資が足りませんでしたから、日本中からの支援物資が大変にありがたかった!なかでも、我々の避難所は歌津小太郎のご縁で、仙台/藤崎百貨店さんのネットワークで様々な物資を我々の避難所宛に直接ご支援頂くなどありましたので、避難所のなかでは恵まれていたように思います。

この間、避難所の男達が何をしていたか…なんと地域の人々とボランティアの方で未来につながる道“未来道”を行政主導ではなく自分達自身で作っていました。 私たちが計画した“未来道”は「今後いつかはまたこのような災害が必ず来ることを、私たちの子孫に伝えるためにも、救急車が国道から通れる道をつくって将来にそなえよう。」と言う最低限、自分たちの命だけは守れる地域の大事な財産として建設しました。
(※未来道の詳しい内容についても、2012年7月1日版をご覧ください)

●    2011年8月
全壊の判定を受けながらも、なんとか持ちこたえた自宅は、ボランティアの方々や、地域の皆さんの協力で瓦礫がキレイに撤去されましたので、その後、知り合いの大工さんにもお願いして、当面は人が住める状態まで直してもらい、自宅での生活に戻りました。
このころには馬場・中山生活センターに当初避難していた200人の人々も徐々に少なくなり、8月中旬には、全ての方が仮設住宅に住めるようになりました。
また、役場のほうも落ち着きを取り戻しましたので、復興に向けた対応を取れるようになってきましたので、歌津小太郎もようやく再建に動き出しました。

●    2011年11月
事業再開に向けて申請していたグループ補助金(3次募集)が、採択を受けて本格的に歌津小太郎が再出発できる環境を模索し始めました。中でも、工場の建設地がなかなか決まらずに、何度か暗礁に乗り上げそうになりました。地権者の方との賃貸借契約を済ませたのは、申請書類の提出期限2日前でした。


(工場予定地の写真 2012/09)

●    2012年4月
新工場の設計図面が出来上がり、いよいよこれからという段階になって、工事費の大幅な高騰や、町の復興計画の遅れによって、計画の見直しを強いられることになります。そんな絶体絶命の時に、工場の設計を始めから見直すことから引き受けていただいたのが、仙台の針生承一建築研究所の針生承一先生です。特に建設資金に問題を抱えていたため、針生先生からの強い勧めもあって、今回取り組んでいる、ミュージックセキュリティーズ㈱ 「被災地応援ファンド」に取り組もうと決意しました。今思うと、歌津小太郎のターニングポイントはこの時でした、ピンチからチャンスに状況が大きく変わったのは…

●    2012年6月
ひさしぶりに元従業員のみなさんに集まってもらいました。会社再建に向けての話し合いのためです。
仙台/藤崎デパートさんのご好意で、工場もない我々のために短期間ですが販売会を開催していただくことになり、自宅の台所で出来る範囲での商品作りを行うことになったのです。
元々、漁師の食卓にのぼるおかずを商品化したわけですから、台所でも商品は作れるのです! 出来る範囲からの再建の大きな一歩になりました。
話し合いののち、元の工場の場所に行きました。地盤沈下により半分は海面下となってしまった敷地で再起を近い写真撮影をしたのがこの写真です。みんな嬉しそう!自然と笑顔になりました。


(2012/06)

工場建設に関してですが、地元、南三陸町の山庄建設㈱の協力もあって、海岸より1kmほど内陸にはいった管の浜(くだのはま)という地域に建設することになりました。
歌津小太郎の工場に隣接して、南三陸直売所「みなさん館」を建設することも決まり、6月中には地鎮祭が執り行われました。こちらは公益社団法人アジア協会アジア友の会さんにご協力頂きここまでたどり着きました。完成後にはもちろん歌津小太郎の商品も扱っています。


(みなさん館オープンの写真 2012/10)

そして6月28日、この日からミュージックセキュリティーズさんによる“歌津小太郎こぶ巻きファンド”の募集を開始しました。

●    2012年7月
自宅の台所で作った商品で1年4ヶ月ぶりに仙台/藤崎B1階の“歌津小太郎コーナー”が復活しました。7月12日-16日の5日間だけ、商品も「三陸歌津産湯通し塩蔵わかめ」だけですが大きな一歩でした。顔なじみのお客様と沢山の再会に目頭が熱くなりました。
これが実現したのは藤崎さんの多大なるご支援ですが、そのバックには歌津小太郎ファンのみなさんの多大なるお力添えがありました。


(藤崎、売り場写真 2013/03/11)

詳細は、歌津小太郎ホームページの活動日誌(2012年7月7日、11日、19日版)をご覧下さい。
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簡単にまとめようと思いましたが、これまであまりに沢山の出来事がありまして、みなさんのお力添えに感謝する気持ちを全部お伝えしたくて、長くなってしまいました。
前編はここまでにしまして後編に続きます。
今回の記事の多くの部分は歌津小太郎ホームページの活動日誌にも詳しく掲載されています。合わせてご覧下さいませ。

震災支援で大変お世話になった皆さんです。(ほんの一例です)


(宮城復興支援センターの皆様と地域の皆さん 2011/04)


(福井県建設業会の皆様 2011/07)


(埼玉はすだ支援隊の皆様 2011/08)


(神奈川県座間市 ㈱かおる建設工業の皆様 2011/08)


(仙台市 ㈱藤崎百貨店の皆様 2011/04)


>>後編を読む




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(宮城県南三陸町)
歌津小太郎こぶ巻ファンド(1口1万500円)の詳細・お申込はこちら:
皆様の資金は、
昆布巻、めかぶ漬等を製造する工場の設備費用や、原材料の購入費用等に充てられます。

 

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被災地からのレポート2013年10月9日 11:07

感謝祭

2013.10.6(日) お隣の南三陸直売所・みなさん館では、
1周年感謝祭が開催されました。



昨年のオープンより、多くの皆さんから暖かいご支援と
ご愛顧をいただいたおかげで、1周年を迎える事が出来ました。

この日も多くの皆さんに足を運んでいただき、
本当にありがとうございます。




秋と言えば、食欲の秋!(^-^)

今が旬のサンマ焼きやホタテ焼き、豚汁が登場!








皆さん、自然と笑顔がこぼれていました!(^^)!




杵と臼を使った昔ながらの餅つきもあり、
つきたてのお餅が皆さんに振る舞われました。


(・・・おじいちゃんと一緒に、「よいしょ!」)

この日は、トラ模様のネコまで登場!!(このネコはしゃべります。)


(・・・只今、子供達はとらネコとたわむれ中!
その後ろでは、餅つき中!)     

 
また1周年を記念して、みなさん館前には顔出し看板が出来ました。



 お買い物に来た際には、是非、記念撮影してけさいーん(*'▽')

(記事担当:渡邊)

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被災地からのレポート2013年9月30日 21:38

いよいよ 販売開始!!

”歌津小太郎こぶ巻ファンド”の有限会社橋本水産食品の千葉孝浩です。待ちに待ったさんまが9月下旬よりようやく調達できるようになりまして看板商品である”さんま昆布巻”を作れるようになりました。製造を担うベテラン従業員のみんなも張り切っています。


(完成品!! 「さんま昆布巻」○右と「にしん昆布巻」○左)

■さんまの昆布巻が愛される理由
多くの皆さんにとっては「お正月のお節料理でみかけるくらい」、それが昆布巻だと思います。
漁師の食卓のおいしいものを作り続けてきただけ…南三陸・歌津の小さな小さな水産加工食品会社の我々ですが、仙台の老舗百貨店の藤崎さんとそのお客様をはじめ多くの方が歌津小太郎のこぶ巻きを熱烈にそして辛抱強く待っていてくれました。
「たかが昆布巻になぜ?」
正直、昆布巻を作って売っている私自身も判りませんでした。
震災後の半年が過ぎた頃、ようやく工場再開に向けて活動を始めた時、
多くのみなさんから昆布巻の復活を待つ激励の言葉を頂くようになりました。

み なさんがいうには歌津小太郎のこぶ巻きは、お正月のおせち料理にはもちろん、お弁当のおかずや来客の際のもう1品と言う時には欠かせないとおっしゃってい ただきます。中でも、お盆やお正月にふるさと宮城に帰省された子供さんやお孫さんに是非食べさせたいとか、お土産で持たせてあげたいなど、ご身内でのご利 用が圧倒的に多いのが、他の商品と大きく違う点です。


(南三陸直売所 みなさん館 歌津小太郎コーナー 9月27日撮影)


(仙台 藤崎百貨店 歌津小太郎コーナー 9月29日撮影)

私にとっては子供の頃からなじんでいた昆布巻の味ですので普通のことでしたが、その”三陸の普通の昆布巻の味”がみなさんに愛されていたのでした。

■出資者の皆様へ
製造再開となりましたさんまのこぶ巻きですが、9月中は充分なさんまが揃わずに、まだまだ充分な量が作れていません。
しかし、出資者特典は10月初旬より順次、発送しますのでもう少々お待ちくださいませ。

■みなさまへ
歌 津小太郎ファンのみなさまの中でも、何よりも待ち望まれる声が多かった「さんま昆布巻」が私たちの納得する出来栄え(歌津小太郎の味)でよみがえりまし た。皆さまには、待たせに待たせてしまい本当に申し訳ない気持ちでいっぱいです。心を込めてつくりました…感謝の想いを南三陸からお届けいたします…。


(仙台藤崎百貨店 での写真は、特別にご許可頂き掲載しております。)

これからも応援よろしくお願いします。



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(宮城県南三陸町)
歌津小太郎こぶ巻ファンド(1口1万500円)の詳細・お申込はこちら:
皆様の資金は、
昆布巻、めかぶ漬等を製造する工場の設備費用や、原材料の購入費用等に充てられます。

 

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被災地からのレポート2013年9月20日 10:35

さんまのこぶ巻製造再開!

秋の味覚と言えば「さんま」、
と言う方も多いと思います。
そのさんま、猛暑の影響なのか
今年はさんまが三陸沖までなかなか南下せず、
不漁が続いていました。

みなさまの中でも、
ニュースで、スーパーで、
さんまの不漁とその影響による価格の高騰を見たり感じてたと思います。

でも、やっとさんまが南下し獲れるようになりました。
そこで大忙しになるのが、
有限会社橋本水産食品の歌津小太郎です。
震災前の看板商品を震災3年目にして復活させます。


歌津小太郎こぶ巻ファンドの契約を9月末までに完了した、
出資者の方々に10月初旬よりさんまのこぶ巻をお送りします!

10月26日、27日のツアーでは、歌津小太郎にも立ち寄ります。
詳細はこちらから
宮城県の事業者を回るツアー開催決定!!(10/26-27)
https://www.securite.jp/news/securite?a=343 


製造風景の写真です。
【作業工程の簡単な説明です】
1. 下処理したさんまを昆布(鵜の助さんの昆布です!)で巻きます。
2. 味がしみ込むように真ん中をあけて鍋にいれます。
3. 独自のしょうゆ、みりん、砂糖などを使ったタレで煮込みます。
4. パックに詰め、2週間ほど熟成して完成です。
 
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(宮城県南三陸町)
歌津小太郎こぶ巻ファンド(1口1万500円)の詳細・お申込はこちら:
皆様の資金は、
昆布巻、めかぶ漬等を製造する工場の設備費用や、原材料の購入費用等に充てられます。

 

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被災地からのレポート2013年9月19日 20:24

サンマを待ちわびる日々

”歌津小太郎こぶ巻ファンド”の有限会社橋本水産食品の千葉孝浩です。今回はお詫びしたいことがありまして、その理由とともにご報告します。

2013年4月22日に現在の工場(南三陸町 歌津 管の浜)での生産を再開しました歌津小太郎ですが、震災前の30品目の品揃えを全て復活するには程遠く、5月-6月はおよそ3品目、7月-8月には新たに3品目を常時生産できるところまで立ち上がって参りました。

9月にはいよいよ主力商品であり投資家特典にもしています”さんまこぶ巻”の生産を再開しようとしていたのですが、肝心のサンマが入荷しないために少々遅れてしまう見込みです。本当に申し訳ありません!


(歌津小太郎 自慢の逸品、“復活”さんまこぶ巻)

報道でご覧になっている方もいらっしゃると思いますが、今年は三陸沖の海水温が高い状態が長引き、サンマの南下がなんと例年比の3週間も遅れているのです。9月11日の時点では、宮城県の気仙沼港でも今年最初のサンマの水揚げが始まったと報道されましたが、先日の台風の影響などもあり、わが南三陸の地では、まだまだ加工に回すほどの水揚げが十分足りていないのです。


(今年のサンマ漁 初水揚げの写真、宮城県気仙沼港 平成25年9月11日)


(出荷寸前、氷づけの状態で箱詰めされます…一般小売用には、サンマが出てきていますが、今はまだ水揚げが少ないため、その大半は大都市などの市場に出荷されます。)

歌津小太郎の一番人気「さんまこぶ巻」をはじめ、「ひと味ぼれ(ひとみぼれ)」の原料となるホタテやカキ、ほや醤油漬、塩うに、焼うに、あわび煮貝など、主力商品の材料が揃わずに、作りたくても作れない!

サンマの他にも、ホタテ、カキ、ホヤ、ウニ、アワビなど、計画どおりの生産を行うには足りないものばかり。さまざまな事情が解決されておらず、その要因の一つが、南三陸町内の各漁港に整備する予定の、荷さばき場(漁師さん達が水揚げした、海産物の下処理施設)が完全に復旧しておらず、震災前の4分の1くらいの水揚げしかないのです。だから美味しいものほど、生食用/一般小売用に優先的にまわされますから、我々の加工業者に回ってくる分は量が限られ、しかも競争率が高い! でも、歌津小太郎は地元、三陸産にこだわりたい…。

常設テナントがあります仙台の藤崎デパートB2階では、震災前からの歌津小太郎ファンの方より、「こぶ巻はまだ?」と連日お声がけを頂きまして、嬉しい反面、2年半もお待たせしまして本当に申し訳ない気持ちでいっぱいの毎日です。


(仙台藤崎デパート本館地下2階、歌津小太郎コーナー)


(店頭POPでもお知らせしています。)


従業員一同、祈るような気持ちでサンマを待ちわびる日々が続いています。
「サンマよ~!早ぐこっちゃ来~ぃ!(早くこっちに来~ぃ)」
出資者の皆様には、投資家特典のお届けをお待ち頂くこと何卒、ご理解を頂ければ幸いです。

これからも、皆さまからの応援よろしくお願いいたします。

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被災地からのレポート2013年9月10日 13:46

由来

”歌津小太郎こぶ巻ファンド”の有限会社橋本水産の千葉孝浩です。

今回は”歌津小太郎”と”橋本水産”と苗字の"千葉"の関連が
よく 判らないと出資者の方からご質問受けることが多いので、
その辺の 解説と、震災から2年半を迎える、今の地域の状況
との2部構成で 報告したいと思います。

まず、”歌津小太郎”についてです。
現在の南三陸町はもともと歌津町(うたつちょう、人口約5000人)と
志津川町(しづがわちょう、人口約12000人)が合併し2005年に誕生しました。
その歌津町の地名と、創業者の千葉小太郎の名前を取って、贈答用の昆布巻きを
はじめとした商品のブランド名にしたのが”歌津小太郎”です。





 田舎では古くから苗字のほかに屋号を持っていまして、
ウチの場合は近所に 千葉の苗字の方が沢山いらっしゃったので、
そもそも海に 流れる小川に橋がありまして、その近くに当家があった
ので”橋本”と 屋号を名乗っていました。



震災前までの工場跡地です。
ここが「橋本」由来の場所です。
(平成23年3月13日撮影)

 ちなみに、田舎は近くに親戚がまとまって住んでいることが多いので、
 一つの集落に同じ苗字の家が多く、そのために区別をつけるために
 屋号が欠かせないのです。
その屋号を会社名につけたのが”橋本水産”です。

正直、合併直後は南三陸町という名前にあまりなじめず、
歌津の地名が なくなっていくことが悲しかったのですが、
震災後に全国からのご支援で 建設された、地域の直売所「みなさん館」
の名前を決めるときに、 南三陸を略すと”みなさん”になり、”皆さん”に通じる
ので”みなさん館”と 名前が決まった際には非常にしっくりきていい町名だなと
思いました。



そんな南三陸町にある”歌津小太郎”の新工場ですが
元の町名では歌津町(うたつちょう)の管の浜(くだのはま)と
いうところに ありまして海からは約1kmの内陸に入ったところになります。
 
震災前からの従業員の皆さんのほとんどが旧・歌津町の出身者で、
以前は元の工場のすすぐお近くにお住まいの方ばかりでしたが、
沿岸部の自宅が津波で被害を受けた方が多く、今でも家庭の事情など、
様々な理由で遠く離れた地域で暮らしている方もいて、現在は12名いた
従業員のうち、5名の方が歌津小太郎を離れ、違う環境で生活しています。


 「震災から2年半、今の地域の状況」

 あの日から、2年半という時間が経過しますが、町の景観など、
ここ最近は特に 大きな変化が見られず、震災からの復興はなかなか
目に見えてきません。
先日あった新聞報道では、南三陸町の事業者の7割が震災後に廃業した
との記事も 流れました。ここに来て、故郷での生活再開を断念する方など、
さらなる人口流失 も始まってきています。

次の世代が働く場所があまりにも少ない、近くに緊急病院が無い(石巻の緊
急病院 までは救急車でも1時間かかります。) 子供たちの教育環境も、
なかなか改善されない。 住み続けたくても暮らしていけない、これが被災地に
暮らす私たちの、悲痛な思いです。

沿岸部にあった以前の工場の近くで、歌津地区で最初の災害公営住宅の
建設が急ピッチで 行われています。町も1日も早い復興を目指し、担当部署
と地域住民が一体となって、 今後のまちづくり計画などの合意形成を進めて
います。

<建設中の災害公営住宅の写真>







がれき撤去や道路工事など、復旧工事の段階はほぼ終わり、
これからが本当の意味での 復興に向けて、正念場を迎えます。

今後も、ファンド出資者の皆さまには、これまで同様、被災地の
復興に強く関心を持って いただき、末永く寄り添い、見守って
いただければ本当にありがたいです。

これからも応援よろしくお願いします。
 (記事担当 千葉)

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被災地からのレポート2013年8月29日 09:21

今年も行ってきました

8月24日(土)に埼玉県蓮田市で開催された「はすだ市民まつり」に地域を代表して、
南三陸町の特産品を販売に行ってまいりました。

蓮田市とは、震災直後から南三陸町歌津馬場、中山地区に支援に入っていただいた
「はすだ支援隊」の皆さんとのご縁がきっかけとなり今も尚、支援隊の皆さんはもちろん、
市長さんはじめ、自治会や商店街の皆様にもご支援を頂戴し、私たち被災地に合わせた
目線で2年半もの長い間、継続したお付き合いのなかで、ご支援をいただいています。

 ※当日の写真



午前中から、気温30度を越える中、いよいよ開店です。



 開店直後、蓮田市の中野市長さんから激励をいただいた時の写真です。
(写真一番右の方が、中野市長さんです。)



はすだ支援隊の皆さんの熱心な呼び込みに、お客様が自然に集まってきます。



 あまりの暑さに、スポーツドリンクで、本日3回目の乾杯!!

今回の参加で2年目になる特産品販売イベントも、
少しずつ増えている商品アイテムを見て、市民の皆さまにも、
南三陸がゆっくりではありますが、復興に向かっていることを実感していだけるのだと、
改めて感じました。

 ※商品の写真 毎度、ご好評の「わかめ」と…



今回から歌津小太郎の「陸中漬(りくちゅうづけ)」と
「ひと味ぼれ(ひとみぼれ)」が初お披露目!!



また、同日に神奈川県座間市で開催されたイベントでは、
㈱かおる建設工業の皆さまにも、南三陸の特産品を販売していただきました。

かおる建設さんも、はすだ支援隊の皆さま同様、震災直後から私たちの地域に、
多大なるご支援を頂戴し、現在も会社全体で南三陸町歌津馬場、中山地区を応援していただいています。

これからも、皆さまの温かい応援の力をお借りして、地域の復興、歌津小太郎の復興につなげていきたいと思います。

(記事担当:千葉)



歌津小太郎こぶ巻ファンド募集中です:
https://www.securite.jp/fund/detail/305

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被災地からのレポート2013年8月21日 11:41

押しますよ。

この度、南三陸町で新しい取り組みが始まります。

私達、歌津小太郎もグループの一員である、南三陸町地域観光復興グループの企画で、
南三陸町内のお店では、プレセント付、スタンプラリーが行われています。

その名も『南三陸てん店(てん)まっぷ2013』!


南三陸町の街ナカにあったお店達が「点々」と各地区に復活しています。  
そんな点々と点在する南三陸のお店を、転々と巡って南三陸を元気にしよう!と
点在したお店と人々を結びつけるのが目的で始まった、南三陸てん店まっぷ。

地産品・食料品販売や飲食店・仕出し、宿泊施設や理容・美容・健康、
趣味・レジャーや生活・農産業用品、ガソリンスタンドなど多くのお店が
スタンプラリーに登場しています。





歌津小太郎もここに押しますよ(^^♪



地元の方も、観光で訪れた方も、マップ片手に来てけさい~ん(*'▽')

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被災地からのレポート2013年8月2日 14:33

独占インタビュー

歌津小太郎の商品の味付けは、小太郎夫人・千葉あさ子さんの味付けが基本となっています。

 今、この味を従業員の及川智子さんが引き継いでいます。 従業員のほとんどが、地元漁師の奥様達。智子さんもその一人です。                                                                            
(写真左側が、あさ子さん、右側が智子さん)
※この日は、こんぶ炒りを引継ぎ中

一つ一つ材料を見極め、一つ一つ材料を切る。
 一つ一つ味付けをし、一つ一つ袋に詰める。


※智子さん、こんぶ炒り中!

 歌津小太郎商品が出来るまでには、従業員の“皆さんに、届けたい。”気持ちが 込められ、作られています。


※二人で味の確かめ合い。 


“よしっ!これでOK”

あさ子さんはこう話します。 『従業員は職人だねぇ~』

工場、従業員の事をとにかく第一に考える、歌津の母です。


“はい!出来上がり~!”

あさ子さんはいつもこのような感謝の言葉を使います。

“ありがとさんでござりした。”(ありがとうございました。)


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被災地からのレポート2013年7月23日 15:11

お食事会。

震災前まで歌津小太郎で一緒に働いていた、小太郎社長の次男千葉馨さん夫妻のカフェオープンに先駆けまして、お先に従業員がお邪魔してきました!

 場所は震災前の橋本水産工場近く。
カフェからは海が一望でき海好きの心を癒してくれる空間がいいですよ。




 次々と出てくるお料理を前に私達も話が弾み・・・


あっという間にデザートとなっちゃいました(^^♪


7月27日(土) カフェ CANPE(かなっぺ)オープン。
震災からの地域復興に貢献できる施設となるよう、歌津小太郎共々応援宜しくお願い致します。




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【ご留意事項】
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