歌津小太郎こぶ巻ファンド ファンドニュース 被災地からのレポート

被災地からのレポート2014年6月17日 10:45

復活2年目~5月のまとめと“6月”~「ほや醤油漬」復活と「苗プロジェクト」

”歌津小太郎 こぶ巻ファンド”の有限会社橋本水産食品の千葉孝浩です。
6月になり南三陸も入梅時期を迎え、はっきりしない天候が続いております。
今回は、5月の嬉しい出来事二つのご報告に始まりまして、いつものように「3年間の6月の振り返り」、それから今年の6月のお中元商戦への取り組みをご紹介したいと思います。
 「振り返り」の中では、沢山の出来事があったこの3年間の中でも歌津/馬場中山地区を支えてくれた強力な支援者の皆さんの活動を出来るだけ多く取り上げるようにしています。今回も長いですがお付き合いください。

カフェかなっぺの窓辺越しからの歌津の海の風景です。歌津小太郎の第三の男(弟・カオル)の夫婦が運営しているお店です。  馬場中山カオル商店HP20140601


● 2014年5月の歌津小太郎活動報告 ~歌津のホヤ、3年ぶりの復活です!~
5月は嬉しいことが二つありました。一つ目は、2014年5月13日、我が歌津/馬場中山地区で震災後初となる「ホヤ」が水揚げされました! ホヤは宮城県では大ファンの多い珍味なのですが、他県の方にはなじみがうすいかもしれませんので解説します。その形から「海のパイナップル」とも呼ばれるホヤは、「独特の深い磯の味わいが酒の肴に非常に合う」、「一度食べたら病みつきになる味」などと絶賛されています。しかし一方では鮮度が落ちると大変な臭み(金属臭と申しますか)が生じるため、最初の出会いが肝心で、宮城県民でも大嫌いな人も少なからずいるという強烈に個性的な海の幸です。

ホヤの3年ものです。ソフトボールくらいの大きさです。中に鮮やかなオレンジ色の身が入っています。 (歌津小太郎工場にて2014.05.13)



歌津小太郎ではこのホヤを「ほや醤油漬」としてお出ししていました。実はウチの商品のなかでも復活を望む声の多かったのが、一番目がダントツで「こぶ巻」ですが、2番目がこの「ほや醤油漬」でした。「歌津小太郎のほや醤油漬」は加工品なのだけど、生に近い食感で、風味、味覚を楽しめるというのが“ホヤ好き”の皆様にご好評でして、宮城県出身の都会で暮らすファンの方たちが帰省のたびに買って帰る、そんな人気商品なのでした。
その「ほや醤油漬」が6月4日より、仙台・藤崎デパートの歌津小太郎コーナーで発売開始となりました。(まだ原料が充分に確保出来ないので1日30個だけの限定販売となりますが…)



嬉しいことの二つ目ですが、5月22日(木)~28日(水)の7日間、千葉県船橋市にある、東武百貨店・船橋店6階イベントプラザで開催された『宮城・山形の物産展』に出店して参りました。連日盛況でして、首都圏の多くのお客様に歌津小太郎の味を直接知っていただくことが出来ました!


このイベントは今年で12回目を迎えるものでして、歌津小太郎は震災前からお声がけを頂き出店させていただいていました。震災後は2011年と2012年は商品が作れなかったのでお休みしていましたが、昨年2013年から再び出店させて頂くようになりました。本当にありがたいことです!


 東武百貨店さんが力をいれて宣伝してくださいまして、7日間とも予想以上の人出となり、歌津小太郎コーナーにも沢山のお客様にお立ち寄り頂きました。また昨年は工場復活直後でしたので、商品の品数も少なかったのですが、今年は7品目をお持ちすることが出来るようになりました。品数も着実に進化しています!!!


普段はあまりお知らせしないのですが、今回は特別にこの7品目の売上数ランキングをお知らせします。 ジャーン、第一位はめかぶ漬! 続いて、さんま昆布巻、磯人漬、ひと味ぼれ(ひとみぼれ)、と続きます。常設で出店している仙台・藤崎デパートでの人気ランキングとは、それほど大きな違いは無いのですが、 仙台では人気があるけど、逆に船橋では第7位となった小女子(こおなご・地方によってはイカナゴとも言う)に関しては、もっと魅力をお伝えできるようにせねばと感じました。


こぶ巻きを中心にお持ちしました。   歌津小太郎-被災地からのレポート20140522

歌津小太郎のスタッフ自身が出向いて百貨店に出店するのは、震災後はこの東武百貨店・船橋店さんの催事だけですが、震災前は3ヶ月に一度くらいの頻度(年間に6回くらいの頻度で)で首都圏にも直接出店していました。今年は他の地域での催事出店のお声がけを頂いているのですが、当面は人員不足というのがネックで対応できずにおります。残念なところです。


ちなみに首都圏での販売に関してですが、実は限定した場所と期間になりますが、歌津小太郎商品が買えるチャンスがあります。東京・荒川区の㈱加藤物産さんとは歌津小太郎商品と代理店契約をさせていただいていまして、一週間の期間限定での販売会ですが、デパ地下コーナーでお求めが出来ます。詳しくは歌津小太郎ホームページの「販売会のお知らせ」をご覧下さい。6月は渋谷、浦和、新宿、池袋、吉祥寺に出店しています。デパ地下の小さな催事ブースでの出店なのでかなり見つけにくいのですが、加藤物産さんの主力商品である「中華くらげ」を山盛りで販売しているお店を探してみてください。


東武百貨店・船橋店さんでの催事に戻りますが、今回はフカヒレの石渡商店さんも出店されていました。 石渡商店さんはこちらの被災地応援ファンドの先輩事業者さんですし、いらしていたスタッフさんとも古くからの顔なじみですので、津波で被災して再建したもの同士、お互いに声をかけあいながら活気ある7日間を過ごしました。



●3年間の振り返り
2月のブログより、毎月ごとに3年間の同じ月は何をしていたか思い出して書き綴っています。 書き残しておくことで未来の自分達へのメッセージであったり、非日常的な体験をした私達の経験が今後の教訓につながったりなど、そういった出来事を皆様と共有できたらと思います。


歌津小太郎の旧工場及び千葉家の自宅のあった南三陸町(旧・歌津町)馬場中山地区は地域全体が壊滅的な津波被害を受け、どうにか津波を被らなかった地域の集会所・馬場中山生活センターという高台にある建物で200人が避難生活を送ることになりました。では、震災から3ヶ月を経過した6月の出来事からお読み下さい。


2011年6月、カレキ撤去後の歌津小太郎の元工場の敷地  (馬場中山HP20120701)


2011年6月: 暑さとの戦いの始まり、仮設住宅への引越し開始、そして苗プロジェクト始動
6月1日の時点では馬場中山生活ンターで避難生活を送っていたのは80人ほどになっていました。5月の下旬に地域への水道供給が復旧すると、停滞していた他の様々なことも加速して進むようになりました。その代表的なものが、「仮設住宅の建設」です。6月に入ってからは設備工事が整い完成した順番に数軒ずつの単位で仮設住宅に引っ越していきました。引越しといっても、家財道具をすべて流されているので、少ない荷物を軽トラックに一家族分の荷物が積み込めるという簡単なものでした。


仮設住宅での新しい生活が始まります。 馬場中山HP20110604

地域全体の希望としては、ご近所の家同士が同じ仮設住宅に入居できるようにという思いでしたが、平地が少なく山がちな地域の特色上、希お望がかなわず、大まかには6箇所の仮設住宅に移り住むことになりました。近いところでは馬場中山地区から1km、遠いところは10kmほど離れた場所ですので、特に漁師さんには不便な生活となります。


仮設住宅の建設風景です 馬場中山HP20110605


一方で、地域に残る人もいます。震災前の馬場中山地区は約80軒、200人の住民。そのうちの津波を被らなかった5軒、それと津波を被ったもののなんとか修理して住むことが出来る家が10軒程度、あわせて15軒ほどは当面は馬場中山地区のもとあった家の場所に残って暮らすことになりました。

歌津小太郎の千葉家に関しては、その馬場中山地区居残り組でした。当初は、自宅は一階の天井まで海水に浸かり、海側(東側)の柱の何本かがダメージを受けたので、「全壊」の判定を受け、一旦は解体と諦めていました。しかし、地元の大工さんに相談しまして大規模補修をすればなんとか住めるだろうというお話でしたので、ボランティアの皆さんとともに1階のガレキ処理を行い、大工さんにいくつかの柱を補修して頂いて強度を確保してなんとか住めるようになりました。そのような作業を5月下旬までは、地域全体が水道未復旧の状態で進めていたわけです。我が家の再建だけをとっても多くの方に力を貸していただきました。ありがとうございます!


自宅(実家)です。比較的高い位置にあったのですが、それでも1階天井まで、水に浸かりました。  歌津小太郎日誌HP201206


震災直後の自宅の写真です。  歌津小太郎HP20120701(撮影は2013年3月)


ある日のボランティアさんの集合写真です。ところどころ持ちこたえた家が点在します。 馬場中山HP20110616


そんな経過を経まして、6月中旬には小太郎社長と母のあさ子、そして弟(馨・カオル)3人が避難所を出まして元の家に戻ることが出来ました。私(孝浩)はと申しますと、やはり水道の復旧を待って6月上旬から歌津町内の内陸部にあるアパートのほうで家内と長男との家族3人の暮らしを再スタートしました。震災当時、長男は5歳だったこともありまして、馬場中山での避難所生活ではなく家内とともに家内の実家(仙台市)にお世話になっていました。震災の日、長男の通っている保育園も津波を被ったことを知りながら、道路がないために安否が分からないまま一夜を過ごすことになりましたが、次の日の早朝に高台の歌津中学校に保育園児が避難しているとの情報が入り、小太郎社長と弟(カオル)の二人で迎えに行ったことを、仙台にいた私は後でそのことを聞きました。幼稚園の先生たちに守られながら一晩を過ごした経験は、彼なりに衝撃的な震災・津波体験をしたのだと思います。   

そんなわけで、6月から私たち家族は、それぞれの住まいから日中は馬場中山生活センターなどに出向いてそれぞれの活動を行うという生活スタイルになりました。それぞれの活動とは、母のあさ子は調理班、弟(カオル)が地域の情報発信による物資提供支援要請にボランティアさんの受け入れ窓口、私(孝浩)と小太郎社長は、地域の避難道「未来道」建設作業を、地域の皆さまや支援者の皆さまと共に汗を流す毎日でした。


地域の住民と、全国の支援者の皆さまの協力で建設した「未来道」の工事 (油圧ショベルは福井県大野市高茂組さんからお借りしました) 馬場中山HP20110617


さて、6月の馬場中山での被災住民の日常ですが、この頃から暑い日が続くようになり、それが新たなる問題の種でした。ハエが大発生しまして暑さと衛生面でのストレスを強く感じるようになってきたのです。実際に年配の方が暑さで体調を崩されて、救急車で運ばれるということも起こりました。(そのときは大事には到りませんでした)
そのようなタイミングで、数日おきに数軒ずつが仮設住宅へ引越しとなり、馬場中山生活センターでの避難住民が徐々に減っていきましたので、狭いところに大人数が暮らしていた分のストレスは緩和されるようになって参りました。


漁師さんたちが早朝、魚を獲ってきてくれました。冷蔵庫が充分ではないので、即、捌きます。 馬場中山HP20110607


避難所に残る人も仮設住宅に移った方もほぼ共通ですが、日中の作業はというと、男性陣のうち漁師さん達は海の清掃作業、それ以外の人達は公共の場所のガレキの撤去や薪作り、そして徐々に雑草が生えてきてガレキ撤去の妨げになるので草刈りというのが主な仕事でした。また、漁師さんの中には夜明け前に小船を出して魚を採り、すぐに捌いておかずの一品に加えてくれるようなチームも出来てきました。女性陣は毎日の炊事をというのは変わりませんでしたが、避難所の全体の人数が減ってきたこともあり、朝から晩まで炊事に追われることがなくなりました。そのようになりましてから、ようやくそれぞれの家庭で自給用程度に作っていた畑の手入れに時間を割けるようになりました。


毎日の避難所での料理作りで使う野菜やその他の食材は、実は行政からの直接支援というのは少なく、大半は歌津馬場中山地区としての情報発信で「欲しいもの情報」を伝えて、全国から送って貰っていたものでした。当初、電気が使えなかったので当然ながら冷蔵庫が使えませんで、日持ちしない食材の管理には本当に苦労しました。そんな中から女性陣達が思い始めたのが、せめて野菜は新鮮なものを地域の畑から調達できたら良かったのにというもの。


震災があったのが3月ですが、その頃はこの地域では畑への作付けを全くしていない時期でした。特に高台の津波被害のなかった畑に関しては、見るたびに「何かしらここに植えてあったら食材調達の苦労が半減したのに~」という思いがふつふつと湧いてきました。しかし、4月5月と農作業に最適な時期が訪れても植えつける苗を買うお金もなければ、地域の苗屋さんも被災していて連絡のとりようがない、調達できないという状況でした。


また、津波を被った畑も少しずつガレキを撤去し耕し始めてはいたのですが、表土を流されたので全く栄養分がなく、そのまま野菜を植えても育たないだろうというのです。こうして女性陣達から「畑仕事」の再建を求める声が増えてきたのですが、千葉家はあまり畑をやっていなかったので、私自身もカオルも農業には詳しくなく、女性陣の要望に応じて「野菜の種が欲しい」と情報発信に載せる程度でした。


そんなときに救いの手を差し伸べて下さったのが、南三陸町の西側(内陸側)に隣接する登米市の一人の農業者の方、Eさんでした。登米市内も地震の被害という点では被災していた地域ですが、内陸ゆえに津波による甚大な被害というのはなく、すぐに生活を再建できていました。そんな地域にいて、そして農業を営む自分が津波で被災した沿岸部の方のために出来る支援がないだろうかということで立ち上げたのが、私たち馬場中山地区の畑をやる住民に向けた支援策「苗プロジェクト」でした。


「苗プロジェクト」の仕組みは、野菜の苗や堆肥や有機肥料、農具などを馬場中山地区で必要とする人々に直接届けるというものです。馬場中山地区の人の8割ほどが「半農半漁」で、漁師のほうが主体ではありますが畑もやっている家が多かったのです。それを一個人の農業者の力と資金だけでは出来ません。そこで全国から一口1000円で資金を募り、運営していくというものでした。この「苗プロジェクト」の第一弾が6月4日に届けられました。トラックに満載した堆肥、予め希望を聞いて用意した野菜の苗、津波で農作業小屋も流されているので何もないだろうと用意してくれたクワやカマなどの農具。ご自身も農業者なので、至れりつくせりの品揃えで用意してくださいました。


 届けられた農業物資を見たときの女性陣のテンションはものすごいものでした。翌日には全ての苗が植えられたことがその喜びを物語っています。その様子を沢山の写真で記録してありますので、今回の記事の後半の写真特集にしました。

とある雨の中、苗プロジェクトさんより追加の苗を頂きました。馬場中山HP20110626


「苗プロジェクト」支援者からの応援メッセージです。 馬場中山HP20110626


2012年6月: 元従業員の皆さんとの再会 ~再起を誓った日~
震災から1年3ヶ月。6月に入って早々に歌津小太郎の元従業員の皆さんに集まって頂きました。おかげさまで被災地応援ファンドの資金も活用してなんとか歌津小太郎再建の道筋が出来てきたため、元従業員の皆さんに説明できるところまでたどり着いたのでした。


我が家(実家)のリビングが会議室です。 歌津小太郎HP20120601



具体的なスケジュールをお伝えしています。 歌津小太郎HP20120601


工場跡地に向かっています。 歌津小太郎HP20120601

工場再建のスケジュールと皆さんのそれぞれの事情や今後の問題点を話し合い、再建に向けた準備を全員が一丸となってやることを誓いました。話し合いの後、元の工場の跡地に向かいました。そして撮った写真がコレです。被災地応援ファンドの事業説明の中でも使っている写真です。


自然と笑顔になりました! 歌津小太郎HP20120601


2013年6月: 理想の昆布は案外すごく近いところにありました
待ちに待った新工場が4月下旬に完成し、新しい環境に少しずつ慣らしていきながら歌津小太郎の商品を復活させていました。5月に入って看板商品のこぶ巻作りにトライしたのですが、どうしても震災前の歌津小太郎の味が再現出来ない! 理由は簡単で、震災の影響もあり満足のゆく原材料が揃わなかったのでした。こぶ巻の本格的な復活は旬のサンマが水揚げされる9月からと予定はしていましたが、看板商品の味を落としたら歌津小太郎の復活とはいえません!
納得のいく材料を探し、小太郎社長も私も北は岩手県大船渡から南は宮城県石巻まで、三陸海岸を右往左往。解決策はなんと被災地応援ファンドの中にありました。30年来のおつきあいのあるタツミ食品遠藤社長から「こぶ巻にするならあのしたづ(あの人たち)の昆布が最高だ!」とご紹介いただいたのが鵜の助さん。そう、“鵜の助4人の漁師ファンド”の彼らの昆布でした。


鵜の助さんでの集合写真です。 歌津小太郎HP20130608


昆布作業を見せていただきました。肉厚の昆布を規格寸法どおりにカットしています。 歌津小太郎HP20130608


詳しくは企業秘密で申し上げられないですが、簡単に言うと、昆布巻に適した昆布というのは、肉厚で弾力があるにも関わらず、柔らかくなければならないため、昆布の刈り取り時期や養殖をする海域など、特別な条件で水揚げされた昆布だけを用意してもらいました。 しかし昆布は手に入っても昆布巻のもう一つの主役、さんまは手に入りません。シーズンとなる9月までは昆布巻の生産を断念することにしました。


● 2014年6月の歌津の海・港・漁師・旨いものそして歌津小太郎情報
昨年のお歳暮シーズンより2つのアイテムで始まった昆布巻のギフト商品が、今年の夏から1アイテム増え3アイテムとなり、6月12日から始まった仙台藤崎百貨店でのお中元商戦に挑んでおります。私たちを取り巻く環境は依然として厳しく、4月の消費増税に始まり、今でも続く原発の風評被害などで決して見通しの明るい状況にはなっていませんが、今出来ることを一つ一つ形にして、皆さまからのご期待に応えてまいりたいと思います。

 【販売再開情報】
6月4日(水)~  ほや醤油漬(120g) 1,080円(税込)
 


取扱いは、仙台藤崎百貨店「歌津小太郎コーナー」のみでの販売となっております。(一日30個限定)

6月12日(木)~ 手づくり昆布巻セット 4,320円(税込) 
                     ※他にも 手づくり昆布巻セット 3,240円(税込)と、5,400円(税込)があります。


こちらは、藤崎本館7階お中元ギフトセンター


こちらは、藤崎本館地下2階歌津小太郎コーナー

 藤崎百貨店のHP からご注文いただけます。→ www.fujisaki.co.jp/ 



<あとがき>
いつも長~くなってしまう歌津小太郎のブログの一部は、我々を気にかけてくださる出資者の方などからの情報発信に対するアドバイスを元に構成しています。自分達にとっては当たり前すぎてこれまでお伝えできていなかった歌津のことに漁師の仕事や海の旨いもののことなど、「こんなこと知りたい!」とリクエストを頂ければ今後のブログで反映していきたいと思いますのでよろしくお願いします。 (すぐには全てに対応出来ないかもしれません。そのときはゴメンナサイ!)


今回の教訓ですが、まず教訓のというよりは2011年6月のことを思い出していてゾッとしたのが、「もしも震災が6月で、それから3-4ヶ月の避難所生活だったらどんなことになっていただろうか?」ということでした。というのは、6月というとかなり暑いですので、その中で電気も水道も寸断されたとなると、衛生面でかなりストレスの多い生活だったと思います。そういえば阪神大震災も1月でしたので、寒さのほうの苦労はあったかと思いますが、日本全体が「暑い時期の大震災」をここのところ経験していないのではないかということに気がつきました。となると、私たちが経験した「3月に被災、それから数ヶ月の避難所生活」よりも大変な事態がありうるのだ――私は想像したくもないのですが、是非ともそういった防災計画や行政の方などの専門の方には念頭において頂ければと思いました。


昔の生活を地域の年配者から伺うと、モノを冷やすといえば「井戸水でスイカを冷やす」というように、日常生活の中に井戸があり、電気がなくてもくみ上げることが出来てという生活だったといいます。馬場中山生活センターのご近所には数軒、現役で井戸水を使っていた家がありましたので、給水車が来るようになるまではそれが水供給の命綱でした。水道が整備され、各家庭の井戸はどんどん使われなくなってしまいましたが、もっと多くの現役井戸があったら、水の供給確保に加えて食材を冷やす場面でも井戸水が活用できたのではないかと思いました。とにかく「水」で最初に苦労し、「井戸」に助けられたので、災害時の井戸の効用について教訓として強く述べておきたいと思います。

記事担当 千葉孝浩


避難所のすぐ下にある民家の井戸です。これが重要なライフラインでした。手押しポンプは元々はついていませんでしたが、震災後に急遽支援物資として取り付けて頂きました。都会からきたボランティアさんが珍しがりながら水を汲んでいるところです。 馬場中山HP20110619

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ブログの本文中に写真を沢山入れると間延びしてしまうので、5月ブログから後半に特集写真のコーナーを設けています。今回のテーマはちょうど丸3年を迎えた「苗プロジェクト」。登米市の農業者の方が、馬場中山地区のおばあさん・お母さんたちと話し合いながら立ち上げて下さったものです。 この「苗プロジェクト」の2011年6月の活動を中心にご紹介したいと思います。


お隣の町・登米市で農業を営むEさんによる畑仕事のニーズのヒアリングです。  馬場中山HP20110531


そして6月4日、トラックに満載の堆肥と、  馬場中山HP20110604



野菜の苗が届きました!  馬場中山HP20110604


地域のおばあさん達が驚嘆しています! 馬場中山HP20110604


第二避難所(青い屋根)裏の畑です。堆肥の使い方などをレクチャーしています。 馬場中山HP20110604


一番左が「苗プロジェクト」を立ち上げたEさんです。馬場中山HP20110604


早速、植えています。  馬場中山HP20110605


6月10日、苗プロジェクトの第二便が届けられました!  馬場中山HP20110610



クワ・鎌・ジョウロもあります。 馬場中山HP20110610


第一便で間に合わなかった苗がこんなに沢山届きました! 馬場中山HP20110610



クワや鎌を持ってやる気満々のみなさんです。 馬場中山HP20110610


ナスの苗を定点観測しましょう。植え付け後10日です。 馬場中山HP20110615


20日後です。ちょっと判りにくいですが実がつき始めました! 馬場中山HP20110625



25日後です。ピンポン玉くらいになりました!ここからの成長が早いのがナスです。 馬場中山HP20110630



トマトです。まだ青いですね。  馬場中山HP20110630


こちらはジャガイモです。ジャガイモは5月下旬にタネイモを植えました。  馬場中山HP20110630


ちょっと判りにくいですがキュウリです。  馬場中山HP20110630


苗プロジェクトのキュウリです。植えてから一ヶ月を待たずに収穫です。 馬場中山HP20110630

と、ここまでが2011年6月の写真でした。

最後に現在の「苗プロジェクト」の活動をご紹介します。

2014年5月16日、今年の「苗プロジェクト」第一便が届けられました。ダンボールに苗が満載です。 馬場中山カオル商店HP20140516

お隣町の登米市のEさんが立ち上げた「苗プロジェクト」は3周年を迎えました! 現在は、継続して支援してくださる方が減りましたが、その代わりに堆肥を有料にして運営費の一部にするなど、徐々に自主運営化して続けています。馬場中山地区のおよそ70軒が参加していますので、仮設住宅に移り、バラバラに暮らしている皆さんも、この「苗プロジェクト」の到着日には一同に集まり、にぎやかな日となります。

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被災地からのレポート2014年5月22日 10:53

今年も行きます!

5月22日(木)~28日(水)の7日間、
千葉県船橋市にある、 東武百貨店・船橋店6階イベントプラザにて、
『宮城・山形の物産展』が開かれます。   

詳しくはこちら→http://www.tobu-dept.jp/funabashi/event/6f/miyagi.html



(店内の様子)

今年で12回目を迎える『宮城・山形の物産展』。
歌津小太郎は、震災後今回で2回目の出店となります。
南三陸町歌津から、(有)橋本水産食品  千葉孝浩と
仙台から藤崎スタッフ1名が、売り場担当として足を運んでおります。

売り場には
・めかぶ漬
・磯人漬
・陸中漬
・ひと味ぼれ
・さんま昆布巻
・わかめ
・極上小女子
 の7アイテムが並びます。


→こちらは、磯人漬・めかぶ漬



→こちらは、さんま昆布巻とひと味ぼれ


どうぞ皆さん、お近くに行った際には、是非寄ってってください。


記事担当 渡邊
 

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被災地からのレポート2014年5月13日 13:05

復活2年目~4月のまとめ報告と“5月”~避難生活の中での歌津の味

”歌津小太郎 こぶ巻ファンド”の有限会社橋本水産食品の千葉孝浩です。
5月になりまして宮城県南三陸町の歌津の地も様々な緑が芽生え遅い春の花も咲き誇るようになりました。
特産のワカメの作業も4月末で終わり、港はワカメ作業の道具が片付けられました。
今回は震災当時、5月頃の避難所での暮らしぶりを中心に、来月からの復活商品のことにも少し触れてご紹介したいと思います。




歌津には海だけでなく山もあります。5月初旬にはこうして山桜が満開となります。 
(馬場中山カオル商店HP2014 .05. 03)




● 2014年4月の歌津小太郎活動報告
4月は大きなイベントが二つありました。一つは4月5日の「埼玉県蓮田市・商工祭さくらまつり」です。
こちらに関しては前回の「3月報告と4月」のほうでハプニングも含めてご報告済みですのでそちらをご覧下さい。

二つ目は、4月26日にファンドツアー。3つのコースから南三陸エリアを選んで下さった方、13名の皆さんが歌津小太郎工場の見学に来てくださいました。出資者の皆さんに完成後の歌津小太郎工場をご覧頂くのは昨年10月以来の二回目となります。今回は小太郎社長と歌津小太郎の製造の責任者である母のあさ子、そして私の3名(孝浩)の3名でご案内しました。こちらも4月30日のブログで報告済みですのでそちらも合わせてご覧下さい。大変にタイトなスケジュールの中、参加者の皆さんから沢山の励ましと、そして歌津小太郎の味を試食いただいて喜んで頂き、参加者も我々も終始笑顔の1時間でした。




4月26日の集合写真です。前列の左から2番目が小太郎夫人のあさ子、後列の一番左から私(孝浩)、小太郎社長です。



2013年4月に現在の工場がオープンしましたので、ちょうど1年を経過しました。お越しいただいたみな
さんのご質問にお答えしているうちに、改めてようやくここまできたという実感が湧いてきました。



3月くらいからワカメの他にも歌津の名物の沢山の種類の海藻(当地では磯草と呼ぶのが一般的)が採れるようになります。こちらでは漁師の家の女性たちがこうした磯草を自宅の作業場で天日乾燥させています。この自然の力で乾燥させた磯草のなかでも品質の良いものを選んで歌津小太郎商品にしていますが、4月になってようやく震災前と同じくらいの品揃えがそろうようになりました。「ふのり」に「ひじき」に「まつも」に!
仙台/藤崎デパートにみなさん館にと、歌津小太郎の売り場は磯草商品のほうも賑やかになって参りました!


●3年間の振り返り
2月のブログより、毎月ごとに3年間の同じ月は何をしていたか思い出して書き綴っています。
書き残しておくことで未来の自分達へのメッセージであったり、非日常的な体験をした私達の経験が今後の教訓につながったりなど、そういった出来事を皆様と共有できたらと思います。
歌津小太郎の旧工場及び千葉家の自宅のあった南三陸町(旧・歌津町)馬場中山地区は地域全体が壊滅的な津波被害を受け、どうにか津波を被らなかった地域の集会所・馬場中山生活センターという高台にある建物で200人が避難生活を送ることになりました。では、震災から2ヶ月を経過した5月の出来事からお読み下さい。


☆ 2011年5月: 電力復活! 第二避難所完成! そんな避難所での暮らしぶりは…
まずはインフラの復旧の進捗に関して時系列でお伝えしておきます。(復旧の早かった順に並べました)

【5月末時点の地域のインフラ復旧状況】

・ 携帯電話 ◎: 複数の会社のものが4月中旬くらいから概ねつながるようになる。

・ ガス ◎: 元々がプロパンガスでの供給エリアでしたので、インフラというより供給体制(ガスの配達)が通常状態に戻ったのが4月下旬

・ 灯油(ストーブや発電機用) ◎: 不自由なく供給いただけるようになったのがやはり4月下旬。

・ 電気 ◎: 電力会社の尽力でこの避難所を最優先に作業を進めていただき、ようやく5月6日に電力供給が復旧しました!(地域で津波を被らなかった家も同様に、それから数日後に電力復旧となりました)

・ 水道 ○: 電力と同様、被災後の当初は、福井県の支援者からお借りした用水タンクに水を貯めて使っていました。こちらも避難所向けの供給を最優先で進めて頂き、ようやく5月27日に「蛇口から水が出る」ようになりました。しばらくは、飲料水用には使わずに、生活用水にのみ使うようにという指導でした。

・ 固定電話 ×: 止まったまま。電話線が壊滅ですし、家そのものが流されていますから復旧の見込みは不透明。


このように一番遅れていた水道が5月下旬に復旧しましたので、なんとか日々の生活がまわるようになったというのが5月でした。


また、4月29日から5月8日まで大型連休期間といいことがあり、この間に多くのボランティアの方がいらっしゃいました。一番の大きな変化は、第二避難所建設です。4月26日から始まった建設作業は驚くほどの急ピッチで進められ、5月に入る頃には外装工事は全て終わり、内装の工事が着々と進められていました。物資が不足する中、内装の壁材や畳にサッシと必要な材料が支援者のネットワークで手に入り、手際よく施工されていきました。仕上げの電気の配線工事も済むと、なんと、工事開始から15日後の5月10日には完成! こちらは女性陣の宿泊場所として使われることになりました。それぞれの布団を持ち込み、新築の第二避難所で初めて過ごす皆さん達の喜びようはまるでどこかの旅館に泊まりにきたようなそんな様子でした。



ちょっと判りにくいですが、高台の右側の赤い屋根が元々ある馬場中山支援センターで、左の青い屋根が第二避難所です。こんな位置関係です。 (馬場中山HP2011. 05. 27)




第二避難所の中の様子。広さが判りますでしょうか。  (馬場中山HP2011. 05. 09)



第二避難所の中の様子。大工さんが棚まで作って下さいました。 (馬場中山HP2011. 05. 10)



多くのボランティアさんの協力で第二避難所が完成しました。中でも全工程を中心的にやってくれたのが馬場中山出身で千葉県内で活動されている大工さんの紺野兄弟です。約一ヶ月間、本業の仕事をやりくりして時間を作り、馬場中山での活動に専念されました。  (馬場中山HP2011. 05. 18)



ここでちょっとこの時期の避難所での暮らしぶりを紹介しておきたいと思います。もう二度とこのような体験をしないことが最善なのですが、あの厳しい被災と避難所生活の中で私たちがどのように暮らしていたか、正直、私自身も記憶から遠くなってきているのです。出来るだけ教訓になることを中心に、5月の頃のありのままの避難所生活を思い出したいと思います。私(孝浩)や弟のカオルはそれぞれ物資の調達やボランティアさんの対応窓口など役割の仕事が多々ありましたので、代表例として70代の母(あさ子)の暮らしぶりで振り返りたいと思います。



震災後の当初は地域で被災した人の多くが馬場中山生活センターに身を寄せましたので、200名ほどの大所帯でしたが、一週間後にはそれぞれ親戚や知り合いの家に一時的に寄せて頂く等して歌津を離れる方もいましたので80名ほどに減っていました。それでも大人数でした。




避難生活の朝はものすごく早く、起床時間は朝4時頃でした。元々、漁師の仕事は朝が早いのですが一人が起きるとみんなが起きだすので、結果、そんな習慣となりました。5月になるともうこの頃には外が若干明るいですし、馬場中山支援センターは東に向いて海を見下ろすように建ってしますので、毎日、朝日を見ていました。

早朝から女性陣が食事の準備をします。朝ごはんは、5時頃から4班に分かれて流れ作業で食べます。主に前の日の食事の残りや、前日のうちに準備していた朝食を温めなおしたりして食べました。昼と夜は、自衛隊から炊いたご飯を人数分供給して頂いていまして、おかずだけを女性陣が作っていました。それに加えてボランティアさんから炊き出しを頂くことも多かったです。
電力供給が充分でなかったこともあり、晩御飯は暗くなる前には片付けを終わらせていたので、とにかく女性陣は日のある時間帯は常に炊事と洗い物をしているような状況でした。母は、歌津小太郎の仕事でも得意というか本業の調理班を担当していました。ときおり、歌津小太郎の味の海藻料理も出てきましたね。



ブルーシートの屋根をかけた屋外の調理スペースです。あさ子が「ひじき炒り」を作っています。
(馬場中山HP2011. 05. 09) 



 馬場中山の女性陣は皆さん料理上手です。そんな女性陣の活躍ぶりを、本ブログの後半に沢山の写真でご紹介しておきます。


食事関係は共同作業で行っていましたが、その他の洗濯や掃除は家族単位でやっていました。一方の男性陣達といいますと、漁師さんに関しては日中は海の清掃作業などを行っていました。大きなものでは、海に沈んだ小型船の引き上げをしていましたね。漁師以外の方々も、道路のガレキを取り除いたり薪を割ったりと、何かしら力仕事をしていました。今思い出してみますと、夜明けとともに起き、みんなが体を動かして仕事をし、食事し、そして日暮れとともに寝る。本当に原始的な生活でした。



いつ終わるか判らない集団生活でしたので、毎日、何かしらの事件が起きていました。先の見えない不安はありましたが、毎朝、太陽が昇り始めるのを見ると、“明けない夜はない“と思えてきました。


この朝日に励まされました。 (馬場中山カオル商店HP2014. 04. 29)



5月になりますと郵便のほうもこの馬場中山生活センターに一旦届き、それから各家庭に配布されるようになりました。その中には歌津小太郎の再建を願う一般のお客様からのお手紙も見られるようになりました。




☆ 2012年5月: はじめての経験、ファンド計画の構築中
 馬場中山地区の状況としましては、震災前の例年ですと、5月の第一週くらいにはワカメ作業が終わりますが、2012年はまだ体制が完全には戻っていませんでしたので、5月第三週くらいまでワカメ作業がずれ込みました。また、なじょにかなるさープロジェクトとして商品化した「福福わかめ」を復興イベントなどでの直接販売の他に今後どういった体制で販売していくかなど、話し合いをしながら模索していました。


ワカメ作業が終わると、地域の女性たちにも時間に余裕が出てきました。そこで一時中断していた地域のキャラクター「ワカメンジャー」の編みぐるみ製作も再開されました。

「ワカメンジャー」は地域に来てくださるボランティアさんに大人気です。 (馬場中山HP2012. 05. 23)



一方、歌津小太郎の活動のほうは2012年4月からスタートした被災地応援ファンドへの参画のため、復興計画を立てていました。小さな家族経営の水産加工会社から少しずつ進歩してきた我々には、これまで、このような大がかりな投資計画など立てたことがなく、またファンドの仕組みというのもなじみがなかったので、ミュージックセキュリティーズさん(以下、MS社)の指導を受けながら計画を練りました。これまで歌津小太郎がどんな仕事をしてきたのか、このときには歌津小太郎の商品など何もない状態でMS社に説明しなければなりませんでしたが、取引先の多くの皆さんからの応援サポートがあり、なんとか我々らしさが伝わりファンドの名前も「歌津小太郎こぶ巻ファンド」と名付けて貰いました。




☆ 2013年5月: 新工場での商品復活―難題が山積み

待ちに待った新工場が出来、新しい環境に少しずつ慣らしていきながら歌津小太郎の商品を復活させております。加工品のうち早期に復活したのが「陸中漬」(くきわかめの漬物)と「磯人漬」(海藻4種類の和え物)。
5月末には、お客様からのリクエストの多い「さんま昆布巻」も試作してみました。ところが…
何十年も昆布巻を作っているのになんと大失敗! 同じようなレシピで同じように作っているのに違う。
理由は簡単、さんまも昆布も納得のいく素材を揃えられなかったのです。震災前のこれらの原材料は、取引先もその産地もまだ復興しておらず手に入りません。さあどうするか!
まずは昆布の調達をどうにかしなければなりません。小太郎社長も私も、かつての取引先を訪ね理想の昆布探しを始めました。



● 2014年5月の歌津の海・港・漁師・旨いものそして歌津小太郎情報
来月から新しく、歌津小太郎に復活の商品が加わります? …と言っても一時期だけとなりますが…



(工場にて2014.05.13)


歌津の海の幸を代表する「ホヤ」が、5月13日に震災後初水揚げとなり、藤崎デパート歌津小太郎コーナーにて「ほや醤油漬」が6月4日(水)から期間限定で販売できることになりました。事業を再開してちょうど1年、お客様からの販売再開のお問い合わせではダントツに多かった、自慢の看板商品がいよいよ歌津小太郎コーナーに戻ってまいります。しかしながら完全復活にはほど遠く、現在でも3年育ちのホヤの水揚げが供給不足の状況にあり、今シーズンは旬である夏場だけの販売となってしまいます。今後は、ホヤだけに限らず、ウニの商品にも取り組んで行こうと計画をしていますので随時報告したいと思います。




(工場にて2014.05.13)




<あとがき>
いつも長~くなってしまう歌津小太郎のブログの一部は、我々を気にかけてくださる出資者の方などからの情報発信に対するアドバイスを元に構成しています。自分達にとっては当たり前すぎてこれまでお伝えできていなかった歌津のことに漁師の仕事や海の旨いもののことなど、「こんなこと知りたい!」とリクエストを頂ければ今後のブログで反映していきたいと思いますのでよろしくお願いします。

(すぐには全てに対応出来ないかもしれません。そのときはゴメンナサイ!)


今回の教訓ですが、集団で避難生活を送った日々を思い出すと、一つ問題を解決するとまた一つ問題が増えという状況でした。そんななかでも不自由な調理器具を駆使して女性陣が用意してくれた美味しいものには和みました。我が馬場中山地区の避難所の結束が固いと周りの方から高く評価していただいたのも、美味しいもののおかげというのが理由の一つであると思います。そんな経験から得た教訓は、「大問題に直面したら、まずは美味しいものを食べて考えよう!」。是非、皆さんも実践してみて頂ければと思います。


○ 記事担当 千葉孝浩


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ブログの本文中に写真を沢山入れると間延びしてしまうので、今回から後半に特集写真のコーナーを設けたいと思います。今回のテーマは2011年5月に弟のカオルが撮影した写真の中から「女性陣の調理班の活躍」です。注目すべきは、5月27日までは水道が止まっている中、工夫をしながらいろいろな食事を提供してくれたことです。




朝食作りです。若干は朝日が入りますが、暗い中で頑張っています。 馬場中山HP20110505



表で洗い物班が待ち構えています。 馬場中山HP20110505




馬場中山生活センターの調理スペースはこんなかんじ。ボランティアさんに配る「がんづき」を作っています。 馬場中山HP20110501



休憩時に「がんづき」を配ります。器や箸を使わなくても食べられるように工夫したおやつです。 
馬場中山HP20110501



卵を沢山頂いたので卵焼き作りです。 馬場中山HP20110509



大鍋で作る雑煮です。5月9日は第二避難所の落成の日でしたので、お祝いの料理まで作ったのでした。馬場中山HP20110509



鍋から溢れそうなくらい「あんこ」も作りました。 馬場中山HP20110509




おもちです。保存がきくので、支援物資として沢山届きました。 馬場中山HP20110509




あんこ餅の完成です。  馬場中山HP20110509



第二避難所落成のお祝いの食卓のあんこもちと雑煮です。   馬場中山HP20110509



とある日は、地域で採れたたけのこを料理していました。 馬場中山HP20110517



歌津の山では山菜も取れます。山菜料理はアク抜きなど手間がかかりますがお手の物です。 馬場中山HP20110517



近くの大きな避難所で自衛隊が準備してくれるご飯を運び込んでいます。昼と夜の分を受け取りに行きます。 馬場中山HP20110517



調理班・洗い物班の女性陣が最後に食事を取ります。この日のメインは天ぷらでした。 馬場中山HP20110517



天ぷらです。大量の大根おろしも準備してくれました。 馬場中山HP20110517




5月27日、台所から女性達の歓声が聞こえました。驚いて行って見ると、蛇口から水が出るようになっていました! 馬場中山HP20110527



生きるために必要な水の確保は福井県大野市の酒蔵さんからお借りしたこの水タンクにお世話になりました。同じく福井県大野市の土木建設業者さんがこの大型タンクを運んで下さいました。震災直後の比較的早い時点にこのタンクが届けられたことで、私たちは馬場中山の地で避難生活を続けることが出来ました。   馬場中山HP20110522

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被災地からのレポート2014年4月30日 14:09

ファンドツアーin歌津小太郎

歌津小太郎こぶ巻ファンド (有)橋本水産食品 千葉孝浩です。
ゴールデンウイークに入って、南三陸も春から初夏へと季節が巡って来ようとしています。
4月26日(土)ファンドツアー2日目も、まさにそのような絶好の好天に恵まれた中、11
名の出資者の皆様が歌津小太郎新工場を訪問されました。


当日は土曜日ということもあって、工場そのものは定休日でしたが、その分出資者の皆様に
は隅々まで工場内を見学していただきました。小太郎社長から事業再開に至るまでの経緯
とこれまでのご支援にたいしての御礼のご挨拶の後、各加工室についての説明や作業内容
などを、製造部門の責任者である千葉あさ子(小太郎社長夫人)から案内してもらいました。

 




 


その後、となりの南三陸直売所「みなさん館」に移り、歌津小太郎商品をはじめ南三陸の地
場の特産品を多数お買い上げいただきました。


もてなす側の私たちが、逆に皆様からおもてなしを受けたような、そんなあったかい気持ち
になりました。



 


わざわざのご訪問、本当にありがとうございました。

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被災地からのレポート2014年4月24日 14:55

さんまのこぶ巻 「美味しい!」の声の数々

昨年の秋に復活した、歌津小太郎の看板商品である「さんまのこぶ巻」。
納得のいく、昆布と出会い、脂ののったさんまが採れました。


(製造風景)




出来立ての一番美味しい時期のさんまのこぶ巻を出資者のみなさまに賞味いただきたく、
出資者の方に特典を送付しました。
出資者の方からたくさんの「美味しい!」の声をいただきました。
一部、ご紹介いたします。

「美味しかったです。
中に入っているさんまの味が濃厚で今まで食べてきた昆布巻きとは
比べようにもならない美味しさでした。(40代女性)」

「ぎっしり詰まったさんまの身、柔らかい昆布、それらの組み合わせが絶妙でした。
忘れられないおいしさです。
私の家族も、南三陸町でつくられたと聞くと、
真剣な顔つきで昆布巻きの切れ身を箸にとり、
真剣に味わい、次から次へと口に運んでいました。(40代女性)」

「東北の味は、「塩辛い」というイメージを従来から抱いておりました。
今回の試供品を頂きましてその絶妙な穏やかで味わい深い味に感銘を受けました。
寒さが例年になく厳しいといわれておりますが、
これからも大いに良い品物を出していただき、歌津さんの粋を全国にまず知らしめてください。(60代男性)」
 
「口の中でとろける様なこぶとさんまがとても美味しかったです。
今回初めてこぶ巻を食べて、地元を中心に愛されてきたのがわかった感じがしました。
ぜひ守って頂きたい味です。
食べてみてよりいっそう応援したい気持ちが強くなりました。ありがとうございました。(40代男性)」

今年の秋も、とれたてのさんまでこぶ巻をつくり、
まだ送付していない新しい出資者の方々に送付する予定です。
また、さんまのこぶ巻は、
仙台の藤崎デパート、南三陸町のみなさん館等で販売をしております。
宮城県にお越しの際はぜひご賞味ください。


(みなさん館の店舗)
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「歌津小太郎こぶ巻ファンド」の詳細・お申込みはこちらから
http://www.musicsecurities.com/communityfund/details.php?st=a&fid=305 

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被災地からのレポート2014年4月18日 11:45

復活2年目~3月のまとめ報告と“4月”~ロウソクの火を囲み話し合った日から3年

”歌津小太郎 こぶ巻ファンド”の有限会社橋本水産食品の千葉孝浩です。
あっという間に4月です。歌津小太郎の工場の再開が昨年の4月27日でしたのでようやく12ヶ月の1シーズンが巡ることになります。
今回は4月の季節の話題としては歌津の海岸のわかめ作業の賑わいを、震災の話題としましては歌津小太郎の男性陣3人でロウソクの火を囲んで話し合った日からの3年の進歩を中心に振り返りたいと思います。
また、4月25日と26日はミュージックセキュリテーズさんのファンドツアーが予定されています。南三陸エリアの訪問先として歌津小太郎新工場にも立ち寄って頂く予定ですので、是非、我々の愛する歌津の地にもお越しいただければと思います。


● 2014年3月の歌津小太郎活動報告
2014年2月28日より歌津小太郎初のセキュリテセット(買って応援)となる「歌津小太郎 とれたて!めかぶ漬とさんま昆布巻のセット」を3月31日までの期間限定で販売しました。おかげさまで私たちの予想を上回る80名様を超える方から約120セットのご注文を頂きました。製造スタッフ一同もやりがいを感じ充実した毎日で取り組めましたことに大変喜んでおります。ご利用いただいた皆さまには、あらためて感謝申し上げます!!  




 2月下旬から4月にかけてはわかめの収穫シーズンでして、この時期に一年間使用する分のわかめの各部位を、わかめの柔らかい部分と茎わかめに選別したり、めかぶをスライスにして急速冷凍で保管します。昨年の今頃まではまだ歌津小太郎の工場が復活していなかったので、この大事な仕込みの作業が出来ずに、その後の1年間は常に自社保有分の原材料が不足していた為に苦労をしたのですが、今年からはわかめを使う商品ラインナップを安定してお届けできるようになりました。


 ●3年間の振り返り
2月のブログより、毎月ごとに3年間の同じ月は何をしていたか思い出して書き綴っています。 書き残しておくことで未来の自分達へのメッセージであったり、非日常的な体験をした私達の経験が今後の教訓につながったりなど、そういった出来事を皆様と共有できたらと思います。


 ☆ 2011年4月: ロウソクの火を囲み話し合った日
震災当時の報道で、みなさんもご覧になったと思いますが、南三陸町は庁舎も壊滅的な被害を受けました。従って震災後の数ヶ月は会社の再建に必要な手続き、例えば新工場を建てるには様々な届出が必要ですが、そういった手続きは一切進めることができませんでした。それ以前に電気・ガス・水道そして電話と全てのインフラはストップしたまま。地域で一番高台にある馬場中山生活センターに我々千葉家の家族4人を含む200人もの人々が避難生活を送っており、支援物資も不足し最低限の生活を送ることもままならなかったのです。地域のなかで5軒くらいは津波の被害を免れた家もあったのですが、それでもインフラが全て止まっていますので、まともな生活をおくれる人は誰もいなかったのです。


 震災から3週間ほどたった日の夜、自宅1階はぐちゃぐちゃでしたが、津波の被害から逃れた2階で、小太郎社長と私と弟(馨)の3人で会社のこれからや、家族のこれからについてロウソクの火を囲んで本音で話し合いました。事業を再開するには工場の再建よりも前に、地元の漁業の復興が不可欠であること、大切な家族や身内の方を亡くした方たちが身近にたくさんおられたことなど、今は自分たちの事をするよりも地域のことに専念するべきと意見がまとまり、「私たち家族は、これからの1年間は地域に貢献することを仕事とする。」という結論に至りました。


この辺りが工場が建っていた場所です(ガレキ撤去後に撮影)  歌津小太郎HP20120701より



自宅1階です。津波が1階の天井まできました。(2011年3月撮影)  歌津小太郎HP20120701より


 この間は歌津小太郎の会社としての活動ではなく、自宅のある歌津/馬場中山地区の避難所での生活をご紹介します。


 なお震災後のおよそ1年間の様子の詳細は、歌津小太郎ホームページの活動日誌(2012年7月1日版)にて沢山の写真を用いてどんなに感謝しても足りないくらいお世話になった皆さんの姿を紹介しています。


 震災直後には地域の人々、約80世帯・200人が共同生活を送ったのが馬場・中山生活センターです。地域の中でも高台にある公共施設でして、ここは津波を被りませんでした。 私はこの避難所で避難生活を送りながら、物資調達班としてガソリン不足の中、仙台の宮城復興支援センターに何度も伺いました。歌津小太郎の仕事で仙台から北に約100kmの歌津までの距離(通常時であれば車で片道2時間)の移動に慣れていましたのでこの任務を自然に分担していただいたわけです。しかし、4月中旬くらいまではあまりの震災被害の大きさに宮城県側の行政による支援もまだまだ混乱が続いており、充分な食材を確保するのが難しい状況が続いていました。


 馬場中山支援センターです。200人が避難生活を送りました。  歌津小太郎HP20120701より


 馬場中山支援センターは地域で一番の高台にありそこから見下ろすとこんなありさまでした 歌津小太郎HP20120701より



震災直後の2週間は道路が寸断されて孤立集落の状態でしたが、なんとか自分達で海岸沿いの道路を車が通れるまでに復旧した4月初旬くらいからは南三陸町の内陸側の市町村の方を中心に災害ボランティアの方々が入ってこられるようになりました。また止まっていたインフラの一つの通信手段ですが、こちらは携帯電話会社さんからの応援で携帯電話がなんとかつながるようになり、さらに通信機器用のバッテリーを定期的に交換もしてくださるようになるとインターネットも接続できるようになりました。それが4月11日のことでした。この通信手段を手に入れたこの日から馬場中山支援センターは大きく変わりました。



 「私たち家族は、これからの1年間は地域に貢献することを仕事とする。」 それを見事に実現したのが弟の馨(以下、カオル)の活動でした。2011年4月11日から馬場中山生活センターの様子を毎日毎日ホームページにアップし、さらにツイッターや各種のサイトへの情報発信を用いて「今、この地域で何が不足しているか」を伝えました。この情報発信の効果は予想以上で、ホームページの開設から一週間後には、「ホームページを見ました。○○を送ります」といった流れが出来上がったのです。その当時の様子は今もそのまま馬場中山地区ホームページを残してありますので、関心のある方は是非ご覧頂ければと思います。 (馬場中山地区ホームページはこちら→  http://www.babanakayama.jp/



この情報発信をきっかけに日本全国から本当にいろいろな物資をご支援頂きました。ここでは全てをご紹介できませんが、一つだけ、震災から3年たっても現役で活躍する大人気の支援物資をご紹介します。 その名も「暖助(だんすけ)」。こちらは長野県にお住まいの方がプロパンガスのボンベの廃材を用いて手作りで製作された薪ストーブでして、ツイッターによる情報提供でこちらの避難所に送って頂きました。4月になっても朝晩はまだ寒い歌津では、お湯を沸かしたりパンやお餅を焼いたりも出来る機能もついたこの「暖助」が大活躍しました。灯油やプロパンガスが無くとも、薪になる木材は大量にありましたから、この暖助の存在は本当にありがたく、暖助を囲んで語り合うという場の形成にもつながりました。


 暖助の初登場の日(4月21日)です。お湯を沸かすしかけも付けてあります。  馬場中山HP20110421より



暖助を囲んでバーベキューの準備をしています。  馬場中山HP20110421



こうした情報発信による全国の団体や個人からの物資支援の流れと、仙台の宮城復興支援センターなどの行政側の支援、そして歌津小太郎のご縁による藤崎デパートや他の取引先様からの馬場中山地区への直接支援、その上に馬場中山の地に来て活動をしてくださる団体、こうした支援がつながるようになった4月下旬の頃には、ようやく「生命の危険」を感じるような危機的状況からは脱しました。そして長期化することが予想されるこの避難生活を乗り切るための次の段階に入ったように思います。


仙台市の藤崎デパートの皆さんが沢山支援物資を運んできてくださいました。レトルトカレー・お菓子・水・ジュース・衣類などをいただきました。みんな私(千葉)の藤崎デパートでのお仲間の方たちです。ありがとうございました!  馬場中山HP20110425



4月下旬になりますと避難所にさらに大きな進展がありました。一人分のスペースが畳1枚分より狭いという状況を見かねて、第二避難所を建設することとなったのです。このプロジェクトには複数の支援団体が連携して下さり、なんと基礎工事を開始した10日後にはこれまでの馬場中山生活センターのスペースとほぼ同じ大きさの避難所が出来たのです。このプロジェクトの際に初登場したのが「はすだ支援隊」です。
(次の節の2012年4月にも登場します)


 第二避難所建設の様子  歌津小太郎HP20120701より



3日目でもうこんなかんじになりました   歌津小太郎HP20120701より



一方、歌津小太郎の直売コーナーのあった仙台の藤崎でパートの地下2階では、歌津小太郎の被災と今後の復旧の見込みが不透明であることを知らせる貼り紙がひっそりと貼られていました。常連のお客様からは藤崎側にお問合せも頻繁に頂いていたと聞きましたが、何もお答えすることが出来ない状態でした。


【4月末時点の地域のインフラ復旧状況】
・ 電気: 地域全体が停電のまま。電柱が壊滅していましたが、避難所までの電源供給用の電柱が建てられたところまでの復旧(電線は途中まで張られた)。避難所だけは小型の発電機で電気の使用が可能になっていました。
・ 水道: 止まったまま。福井県の支援者からお借りした用水タンクに水を貯めて使っていた。
・ ガス: 元々がプロパンガスでの供給エリアでしたので、インフラというより供給体制(ガスの配達)が通常状態に戻ったのが4月下旬
・ 灯油(ストーブや発電機用): 不自由なく供給いただけるようになったのがやはり4月下旬。
・ 固定電話: 止まったまま。電話線が壊滅ですし、家そのものが流されていますから復旧の見込みは不透明。
・ 携帯電話: 複数の会社のものが概ねつながるようになる。


津波を被ってもなんとか持ちこたえた家がまばらに残る中、電線が張られていました。(4月23日) 馬場中山HP20110423




 ☆ 2012年4月: 福福わかめの1000袋完売に涙
 4月7日、歌津/馬場中山地区のわかめ養殖復活プロジェクトの成果を支援者のみなさんにお届けする第一弾のイベント「埼玉県蓮田市・商工祭さくらまつり」での「福福わかめ」の販売を行いました。この日に向けて2月から準備をしていましたが、わかめの塩蔵品を袋詰めしラベルを貼りと、1000袋の準備が完了したのが前日の夜のことでした。 このイベントはちょうど1年前、震災の年の4月から馬場中山地区の災害ボランティアとしてきてくれた「はすだ支援隊」によるその後の継続的なボランティア活動で深いつながりが出来たことによるものでした。


震災後はほぼ全ての水産物の出荷も出来ない、すなわち漁師さんたちにとっては全く収入が絶たれた状態だったわけですが、この年の2月下旬からわかめの出荷がそれまでの1/3くらいの規模で始まり、今回のイベントのようにわかめ漁師さん自身も参加して、直接お客様にわかめを販売するという経験をし、感慨もひとしおでした。足を止めてくださるお客様には、この「福福わかめ」が出来るまでの道のりをご紹介し、この4月中は全国のボランティアの方が今が最盛期のわかめ作業(めかぶを削いだり、茎を取り除いたり)までいっしょにやってくださっていること、精一杯、そのときの歌津の現状のことをご紹介させて頂きました。


 イベント終了後の記念撮影です。1000袋が完売しみんなが笑顔です。 馬場中山HP20120407



 一方、難航していた歌津小太郎の復興計画ですが、ようやく新工場の設計図面が出来上がり、いよいよこれからという段階になって、工事費の大幅な高騰や、町の復興計画の遅れによって、計画の見直しを強いられることになります。そんな絶体絶命の時に、工場の設計を始めから見直すことから引き受けていただいたのが、仙台の針生承一建築研究所の針生承一先生です。震災で全ての生産資源を失っていた我々は特に建設資金に問題を抱えていたため、針生先生からの強い勧めもあって、今回取り組んでいるミュージックセキュリティーズ㈱ 「被災地応援ファンド」に取り組もうと決意しました。今思うと、歌津小太郎のターニングポイントはこの時でした、ピンチからチャンスに状況が大きく変わったのは…



☆2013年4月: 念願の歌津小太郎工場再建 4月2日(大安)、待ちに待った歌津小太郎新工場の引渡しを受けました。55坪木造平屋の真新しい工場です。工事関係者の皆様には厳しいスケジュールをご対応頂き、なんとかここまでたどり着きました。 新工場の建設費は国と県から補助金が支給される制度(通称グループ補助金)を活用しています。当初、何が何でも平成24年度中(2013年3月31日)までの完工でないと補助金が下りないという縛りがありましたので、材料不足・人材不足で計画通りにはいかない現状を、なんとかみなさんが頑張って下さいました。
(補助金制度の工事期限はその後、若干緩和されるようになり事業者にとって使いやすい制度になりました) 建屋の完成を待って、新品の厨房機器やパック詰め機械に冷蔵庫など生産に最低限必要な機器を据付け、4月27日に新工場稼動となりました。
製造はベテラン従業員を中心に6名、そして4月から入社しました事務兼庶務を含む新人3名の総勢9名が工場を切り盛りしてくれます。
(ちなみに、このくらいの規模でも旧・歌津町のなかではベスト10に入る従業員数を誇ります)


歌津小太郎新工場の全景です。 歌津小太郎HP20130518


みんなで記念撮影です。 歌津小太郎HP20130518



●2014年4月の歌津の海・港・漁師・旨いものそして歌津小太郎情報
2月下旬から4月末までは歌津の海岸はわかめ作業で大賑わいです。そんな中、4月3日にチリ地震による津波の警報が歌津の地にも出されました。漁師さんたちは前日から船を陸に上げるなどの対策に追われました。津波予報そのものは数10センチというものでしたが、あの東日本大震災を経験してからは、どんなに小さな地震でもどんなに津波警報が小さなものでも緊張感が走ります。 幸いにも今回の津波はたいしたことがなく、漁師さんたちは4月5日にはもとのわかめ作業に戻ることができました。
しかし、そんな状況でしたので、4月5日(土)の埼玉県蓮田市でのイベントには予定していた漁師さんお二人が参加できず、私一人だけで蓮田に向かうこととなり……でも大丈夫! “はすだ支援隊”の強力なバックアップにより、例年通り蓮田のみなさんに歌津の地域と歌津小太郎の復興の進捗をお伝えすることが出来ました。そう、今回もホタテ焼きと歌津小太郎商品を沢山お持ちしたのですが、早い時点で完売! みなさん、ありがとうございました~!!!


当日は絶好のお花見日和となりました。



大漁旗が目印です。




ホタテ焼き担当は、はすだ支援隊リーダーの小森さんです。




私も、新わかめのセールスや試食に“てんやわんや”でした。



 <あとがき>
 いつも長~くなってしまう歌津小太郎のブログの一部は、我々を気にかけてくださる出資者の方などからの情報発信に対するアドバイスを元に構成しています。自分達にとっては当たり前すぎてこれまでお伝えできていなかった歌津のことに漁師の仕事や海の旨いもののことなど、「こんなこと知りたい!」とリクエストを頂ければ今後のブログで反映していきたいと思いますのでよろしくお願いします。 (すぐには全てに対応出来ないかもしれません。そのときはゴメンナサイ!)


 2014年も1-3月の第一四半期を終えましたので、いまの時点の歌津小太郎の復興の度合いは、「とれたて!めかぶ漬けとさんま昆布巻きのセット」のご好評もありまして6合目まで進んだかなという感じです。皆様、ご支援、本当にありがとうございます! 支援をしてくださる皆様に少しでも早くご恩をお返し出来るように、まずは事業の環境を整え、私達が食べている三陸・歌津の「旨いもの」を多くのみなさんに提供できるようにしていきたいと思います。


 最後に震災後の“教訓”ですが、この「振り返り」を書き綴り始めて改めて思い出したのですが2011年の4月の始め頃、歌津小太郎の男性陣3人でロウソクの火を囲み、とことん将来について話し合ったあの日のことを、この3年間、つまずくたびに何度も何度も思い出しながら走ってきて、あっという間だった気がします。「地域に貢献することを優先して行う」という決断により、カオルは得意のITを利用した情報発信力を活用して地域全体の渉外担当役となり、私は仙台と歌津を結ぶ物資調達役、小太郎社長は地域をとりまとめる同年代の人達との各種協議(相談役)を担当しました。


 歌津小太郎の元の工場には小太郎社長が筆文字で書いた「企業理念」が掲げられていました。津波で工場は全て流されたなかでもその企業理念の額は奇跡的にみつかりました。そこに書かれている一節に「会社は経営者やお客様のために存在しているのではなく、従業員や従業員の家族の幸せを守るために存在しています」というものがあります。私は震災前に歌津と仙台を往復して仕事をしていたわけですが、それは歌津小太郎の経営のためではなく「従業員や従業員の家族(ウチの家族を含め)の幸せを守るため」であったことに気づかされました。それに気がつくと、震災後からすぐに地域の物資調達役を自然と与えられ地域全体の幸せを守ることにいち早く役立つことが出来たこと、千葉家の他の家族もそれぞれの得意な分野を活かして活動が出来たこと、こういったことが最良の選択だったと思います。


 “教訓”的な表現にすると、「自分が今やっている仕事の本質的な意味を常に理解していれば、どんな困難があっても折れることなく柔軟に対応できる」、ちょっと長いですがこんなところでしょうか。

○ 記事担当 千葉孝浩




暖助を囲んでカオルの「馬場中山地区ホームページ」一周年を祝った日。第二避難所にて 2012年4月11日
カオルが撮影している為、本人は写っていません。

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被災地からのレポート2014年4月2日 11:45

上野駅から50分! 埼玉・蓮田市のお花見イベントに出店します(4月5日)

”歌津小太郎 こぶ巻ファンド”の有限会社橋本水産食品の千葉孝浩です。
 2月28日から「歌津小太郎 とれたて!めかぶ漬けとさんま昆布巻きのセット」を期間限定で発売しま
して、無事3月31日をもちまして受付を終了させていただきました。今回、初めての試みで十分な準備
期間が取れない中、MS社の担当の方や、出資者の皆様からのご協力によって、予想以上のご注文を
頂き、製造スタッフ一同、大変に感謝しております。今後は、これに続く第2弾、第3弾を企画したいと
考えておりますので、変わらぬお付き合いを、どうぞよろしくお願いいたします。



今回は主に首都圏にお住まいの皆様に向けたお知らせとなりますが、4月5日(土)に以下
のイベントに出店いたしますので、お近くの方、是非、足を運んで頂ければと思います。


 ■埼玉県蓮田市・第24回商工祭さくらまつり
  日 時 : 2014年4月5日[土] 10時~16時 ※雨天順延
開催場所: 元荒川河川敷公園(荒川橋~宮前橋間の緑町側)
蓮田駅より徒歩10分
イベント情報のリンクページ
 http://asa-hasuda.jp/article.php?shop_cd=1011051418080223&id=16277&bc=12


元荒川河川敷公園の桜をバックに沢山のブースが出店しますよ(写真は2012年の様子)

歌津/馬場中山地区の漁師さん数名と私(千葉)がこの春に採れた「新物・湯通し塩蔵わかめ」
と、歌津小太郎商品「陸中漬」や「ひと味ぼれ」をお持ちします。私は歌津小太郎のハッピを着
ていますからすぐに判りますよ!


【解説】
私達、歌津小太郎のある南三陸町の馬場中山地区と蓮田市さんとは震災を機に深くおつきあいを
させていただいています。蓮田市と白岡町の建設業者さんの有志により結成された“はすだ支援
隊“の皆さんが初めて馬場中山地区のボランティアに来ていただいたのが2011年4月下旬。そ
れ以来、ガレキ撤去、炊き出しに始まり、第二避難所建設、道路建設といった大きなプロジェク
トも私達・地域のメンバーを導き奮い立たせながら協同で活動してくださいました。震災から3
年を経過した今もなお、ご支援を継続して頂いています。



そして私達、馬場中山地区の住民は地域のなりわいである漁業の復興、中でもこの時期が旬の歌
津のわかめを、震災の翌年である2012年から毎年この4月の桜の咲き誇る時期に蓮田の皆さん
にお届けできることを大きな喜びに感じています。



 ●2012年4月7日 震災から1年後に出店したときの様子



イベント終了後の集合写真(前列中央のハッピを着ている方が蓮田市長さんです。歌津から来
ているのは6名で残りは“はすだ支援隊”の皆さんです)


 イベント開始前です。大漁旗を掲げているのが“歌津流”です!遠くからでも見つけやすいで
すよ。 しかし、風が強かったので後半は旗を降ろしてしまいました。



福福わかめです(実は袋詰め作業が前日の夜にようやく間に合ったのでした)



多くの方が「福福わかめ」を買ってくださいました。なんと1000袋が完売! 嬉しかった~



●2013年4月6日の様子


イベント開始前です。ちょっと寒い日でした。お隣のブースは新潟県小千谷市若栃地区。はす
だ支援隊の皆さんがこの若栃地区の雪かきボランティアをされているというご縁とのことです。



歌津小太郎の商品を3品お持ちしました(このときはまだ歌津小太郎の新工場のオープン前でしたが、“みなさん館”のレンタル工房を借りて作っていました)



イベント開始前に市長さんが激励に来てくださいました。




私はトレードマークの歌津小太郎のハッピを着ています!
 みつけたらお声がけ下さい。




この日は後半から海藻戦隊わかめんじゃーが応援してくれました



 誰よりも出店するスタッフ側の私達自身が一番楽しみにしているイベントです。首都圏にお住ま
いの馬場中山地区応援団の皆さんの多くが顔を出してくださること、我々の1年前からの進化を
この場を借りて支援者に皆さんにご報告できること、若手のわかめ漁師さんたちは顔の見える販
売を経験できること、などなど嬉しいことが沢山あるのです。


 いつも事前準備にいっぱいいっぱいでブログでの事前告知が追いついていなかった昨年までを
反省し、今回は早めにこちら“被災地からのレポート“にお知らせさせていただきました。


出資者の方や、「めかぶ漬とさんま昆布巻きのセット」をお買い上げ頂いた方はその旨を、そうでない方
も「このブログで知った」など、是非、お声がけください! お待ちしています!

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被災地からのレポート2014年3月27日 11:01

締め切りまじか!

ご好評いただいております、『期間限定販売 歌津小太郎 とれたて!めかぶ漬とさんま昆布巻セット』。
おかげ様で、たくさんのご注文を頂きありがとうございます。




旬のめかぶ水揚げ時期だけの限定商品となっている為、締切は~3/31(月)受付分までとなっております。

今が旬のめかぶ!今だからこそ味わえる磯の香り!

 締切まじかとなっておりますので、是非この機会に、とれたてめかぶ漬・歌津小太郎自慢のさんま昆布巻をご賞味ください。




詳しい詳細、ご注文はこちらから←





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被災地からのレポート2014年3月10日 21:28

復活2年目~2月のまとめ報告と“3月”~歌津の新物わかめ&めかぶ

”歌津小太郎 こぶ巻ファンド”の有限会社橋本水産食品の千葉孝浩です。
2014年も早いもので3月を迎え、大震災のあの日から丸3年となりました。
今回は3月の季節の話題としては“わかめ&めかぶ“を中心に、そして震災の話題
としましてはどこまでお伝えするべきか悩ましかったのですが、大震災のあの年
の3月を孤立集落の避難生活を中心に振り返ってみました。

●2014年2月の歌津小太郎活動報告
2月は第一週と第二週の週末が全国的な大雪となりました。歌津では大雪もさる
ことながら天候が悪いと海も必ず大荒れとなり、復旧整備中の漁港が大波で冠水
してしまいました。新しく整備したばかりのコンクリートで出来た側溝のふた
も、軽々と持ち上げられ、あちこちに散乱するありさまに、あらためて自然が持
つエネルギーの威力を思い知らされました。
今後はそういったところの補修作業を進めながら、まだ不完全な漁港全体の整備
にも着手していくようですが、今回の南岸低気圧の影響で、さらなる工事の遅れ
が懸念されます。





2月下旬からはいよいよ今シーズンのわかめの収穫がスタートしました。海岸に は毎日多くの漁師さん達が、家族総出でわかめの水揚げ後の加工作業を行ってい ます。この活気が4月下旬まで続きます。この地域で水揚げされる「新物わか め」は、波の荒い海域(外洋)で養殖された、肉厚で弾力の強い良質なわかめと して県下でも知られています。今回、この自慢のわかめの時期に仕込む「めかぶ 漬」の魅力をお伝えできるように企画したのが、地元の漁師が食べている新芽の 「めかぶ」だけを使って製品にした「旬!新物めかぶ漬」をこの時期限定で商品 化しました。 歌津小太郎としては初めての試みですが、これを「さんま昆布巻」とセットにし て“「セキュリテセット」美味しさの直送便”にチャレンジすることにしました。 皆さま、是非お試し下さい!  (2月28日に販売開始しました! ご購入はこちら) ※わかめの「めかぶ」とは…(わかめは全長1~2メートルにもおよぶ海藻です が、その根元の部分にある胞子葉に相当する部位) この商品企画は歌津小太郎製造スタッフである漁師のお母さん達がキーパーソン となり実現する運びとなりました。ヒントになったのは昨年の今頃、こんな会話 から…  “新物のでぎだばっかりのめがぶ、東京の息子さおぐったっけ、こでらんねっ て電話かがってきた”  (新物の出来たてのめかぶ漬、東京にいる息子に送ったら、すごく美味しかっ たって電話かけてきた)  “ほんで、今のじぎだげでも商品にしたら、おぎゃくさんにもよろごばれんでねぇ”  (それなら、今の時期だけでも商品にしたら、お客様にも喜んでもらえるん じゃない)






●3年間の振り返り
前回のブログより、毎月ごとに3年間の同じ月は何をしていたか思い出して書き
綴りたいと思います。
特に“3月”は思い出すのが辛いこともありますが、書き残しておくことで未来の
自分達へのメッセージであったり、非日常的な体験をした私達の経験が今後の教
訓につながったりなど、そういった出来事を皆様と共有できたらと思います。

2011年3月: すべてを奪われた、東日本大震災
3月11日の震災の日の直前のことです。宮城県のPR誌(県政だより平成23年
3・4月号)に私たち歌津小太郎と、被災地応援ファンドへの取り組みでは先輩に
あたります、タツミ食品さん(遠藤社長のところ)の「湯通し塩蔵わかめ」を
「食材王国みやぎ」のこだわりの逸品として2社をセットでご紹介して頂くな
ど、ごく普通に、そしてさらなる販路の広がりを目指して粛々と活動をしていま
した。歌津小太郎は小さな会社ながらも平成5年(1993年)に仙台の老舗デパー
トの藤崎さんに直売店舗を構えるようになってからは、地元のお客様のニーズに
合わせた商品づくりに専念してまいりました。(それまでは首都圏をはじめとす
る全国各地での物産展を中心とした催事販売などにも力を入れていました)
・食材王国みやぎ こだわりの逸品 ~湯通し塩蔵わかめ~ 平成23年3月1日更新
http://www.pref.miyagi.jp/kohou/kenseidayori/backnumber/201103/kodawari/index.htm

震災の日は金曜日でした。当日の私は歌津を離れ、藤崎デパートでの勤務となっ ていましたので、朝から店頭に立って、旬の「新物めかぶ」などをお勧めしなが ら、お客様への対応に追われていました。 14:46に発生した地震の揺れはこれまでに体験したことのない、すさまじいもの で、地下2階の売り場はお客様も我々デパート側スタッフも、揺れが収まるまで は共に何がなんだか理解できない状態でした。 余震が続く中、全員急いで外に避難…私が第一に行ったのは確実に津波が来るこ とが予想できたので、歌津にいる皆に即避難の指示を伝えたくて、弟(カオル) に電話連絡を試みたのですが、全く通話がつながらない状態でした。 その日は、家族や従業員の安否がはっきりとわからないまま仙台で一夜を過ご し、翌日の夜にダメもとで歌津まで車を走らせました。この移動の中で目にした 震災の記憶も留めておきたいのですが、長くなるのでまた別の機会にご紹介した いと思います。 工場と自宅のある歌津/馬場中山地区は歌津半島の東側海岸部にあり、地域につ ながる道路は海岸線を通るルートしかなく津波で寸断されていました。12日の 深夜にようやく地域の皆さんが避難した馬場中山生活センター(地域の集会所) にたどり着き、小太郎社長はじめ我が家の家族全員の無事を確認することが出来 ました。それと同時に地域の様相は一変しガレキの山になっていることに真っ暗 な中でも気がつきました。 馬場中山地区はおよそ100世帯があり、多くがわかめの養殖を中心にした沿岸 漁業で生計を立てていましたから、海岸近くに家が立ち並んでおり、津波被害を 受けなかったのはたった5軒という有様。 海に面して建っていた歌津小太郎の工場は、高さ15mもの津波が押し寄せ跡形 もなく流され、海岸から少し高台に上ったところにあった自宅も、1階の天井ま で津波を被りました。電気・ガス・水道の全てのインフラは寸断され、震災のそ の日から、地域の人々は地区内で一番高いところに建てられていた集会所(馬場 中山生活センター)の広さ約60坪のスペースに200人が身を寄せ合っていま した。 「何もない」ってこういうことを言うのか。それを実感したのがここでの最初の 1週間でした。あまりにも被害が大きく、南三陸町の役場自体も被災していまし たので、200人が食べ物もなく避難生活を送っていても物資が全く届かず、ガ レキの山の中から何とか食べられるものを拾い集め、分け合いながら飢えを凌ぎ ました。ヘリコプターで物資を投下してもらえたのが確か震災から一週間目、寸 断されていた道路が地元の建設会社から油圧ショベルを借りて自分たちで復旧 し、なんとか車が通れるようになり孤立集落から脱したのは、10日ぐらいして からだと思います。 通信事情が悪く、震災の日に即避難した歌津小太郎の従業員がその後、津波から 逃げ延びたのかどうか… 数人の安否が確認できないまま、気が休まらない日々を過ごしていました…それ からしばらくして、全員の無事が確認できたのは、すでに震災から2週間以上が 経過していました。 道路が通れるようになると、ようやく災害ボランティアの方々や支援物資が地域 に入って来られるようになりました。しかし、被災地全体が大混乱のなか、最初 の頃はボランティアの方々の助けたい思いと、被災した我々のニーズとのマッチ ングがうまく行かず、食糧やすぐに欲しい生活必需品は不足したまま。いつまで この生活が続くのか、本当にこの地で生活を再建できるのか不安を抱えての避難 生活でした。   ☆2012年3月: わかめ養殖復興プロジェクト~なじょにかなるさ~ 震災から1年後、歌津小太郎の再建は2012年2月分の報告とあまり変わら ず、「計画」はなかなか計画通りにはいかないままでした。 歌津/馬場中山地区のほうは震災があっても、何があろうとも季節は巡ってくる もので、わずかな量ではありますが、2月から始まった「初物わかめ」の収穫が 最盛期を迎えていました。 2012年2月のご報告でさわりだけ紹介しました地域のさまざまなプロジェク トですが、「なじょにかなるさープロジェクト」というのが、この「わかめの復 活」を目指したものでした。
・なじょにかなるさープロジェクトは
http://www.babanakayama.jp/info/najonika/index.html
津波で船も漁具も全て失った南三陸町馬場・中山地区。その震災から4か月を経 て復興に向け『なじょにかなるさー(何とかなるさ)プロジェクト』を立ち上げ ました。このプロジェクトは、全国からのご支援のおかげで津波前の3分の1程 度の規模でわかめ養殖を再開することができました。 具体的には、2011年7月頃より立ち上がったものでして、全国の皆さんから の支援のおかげで、わかめ養殖に必要な漁船を手に入れ、養殖に必要な機材(わ かめ養殖ロープをつなぐアンカーをはじめ、全て)を徐々に整備し、この2-3 月のわかめ収穫に間に合わせたのでした。全国のみなさんからの支援は単にお金 の支援に留まらず、季節おりおりのわかめ作業にも力を貸していただきました。 重機の使える方は重機作業、「わかめ養殖を体験したい」と海岸の吹きさらしの 中でロープにわかめの芽を挟み込む地道な作業を何時間も手伝って下さった方、 このわかめをブランド化しようとアイディアを提供してくださる方。周りを見渡 すと、ガレキの残る風景の中、地域の者だけでは沈みがちになりそうな気持ちを 奮い立たせ、このように一緒に作業をすることで応援して下さった方が沢山いま した。 この地で収穫されるわかめの多くは、地域の漁協を通じて「南三陸産わかめ」と して出荷されますが、そのようにして作られた2012年の初物わかめのうちの 品質の良いものを厳選し「福福わかめ」と名付け、震災復興を象徴する商品とし て独自に販売しました。 これを一番に買ってくれたのも我々の地域を応援してくださった皆様。そして何 よりも顔を良く知る皆さんが、「わかめってこんなに旨かったんだ!」と言って くださったこと、普段の漁協に出荷して終わりというだけではない顔の見える販 売を体験し、わかめ漁師さん達も今まで以上の収穫の喜びを感じていました。 こうした地域の僅かな復興を目にし、我が歌津小太郎も必ず復活してみせると 誓っていました。しかしこのときの実態は、歌津小太郎の新工場の土地が決まっ ているだけ、他は白紙という状態でした。  ※(“なじょにかなるさー” は、“なんとかなるさ”を意味する地域の言葉です) ☆ 2013年3月: 歌津小太郎コーナーの再開!   震災の日から丸2年の節目を迎える3月11日に、仙台藤崎百貨店「歌津小太郎 コーナー」の常設テナントの再開が決まり、全従業員を集めた決起集会を3月1 日に開催しました。この日から元・従業員から再び歌津小太郎で働く仲間となり ました。総勢13名です。藤崎友の会の会報でも我々の再出発を取り上げて頂 き、再開初日には多くの歌津小太郎ファンの方が懐かしいお顔を見せてください ました。 たくさんの皆様の応援があって、この場に戻って来られたのです! その日は感 慨ひとしおの中、以前と変わらない環境で仕事ができる感謝の気持ちと、この日 を目標にしてやってきたのが間違っていなかったのだと、あらためて確認するこ とが出来ました。不安だらけの再出発でしたが、お客様の笑顔が、これから進む 険しい道のりを乗り越える、大きな自信となりました。 また3月初旬でしたが東京・丸の内にあります新丸の内ビルディングで「被災地 ウィークス」というイベントを開催していただきました。その中で歌津小太郎の 商品を特別にレストランでご使用いただいたり、社長の千葉小太郎がトークイベ ントに出させていただいたりしました。 震災以降、自社の再建とともに歌津の地域の復興に全力を注いでいたもので、 実は社長も私もほとんど都心に出ることなく過ごしていたこの丸二年間でした。 従いまして都内で出資者のみなさんにお会いするイベントに参加するのはこの時 が初めてでした。小太郎社長いわく、「熱心に応援してもらっている皆さまに、 お礼を言いたくてこのイベントに参加したつもりが、ついつい皆様の熱意につら れて自分達がしてきたことを話し過ぎてしまい、最終の新幹線で帰るのを断念し たんだ。でもじっくり話ができたんで行って来て本当に良かった。」と誇らしげ に土産話をする姿を見て、皆様と過ごした有意義な時間にとても満足そうでした。 ●2014年3月の歌津の海・港・漁師・旨いものそして歌津小太郎情報 冒頭の2月報告でもお伝えしましたが、セキュリテセットで歌津小太郎の商品の 取り扱いを開始しました。これまでお中元とお歳暮の時期だけは藤崎百貨店の運 営のもとに通信販売を行っていましたが、歌津小太郎として独自の企画で通信販 売を行うのは初挑戦となります。対面販売を主体として活動してきた私達です が、我々の自慢の「海の宝物」の旨さがみなさんにお伝えできているかどうか、 ドキドキの3月となります。 例年、この時期の歌津のわかめ作業には、歌津に住む漁師の家族の他に都会に出 ている家族や親戚も戻り手伝うことが多いのですが、震災を機に歌津/馬場中山 の地域全体の応援団となってくださった方などもわかめ作業を手伝いに来てくだ さるようになりました。力仕事だったり、めかぶの硬い茎の部分を切り分ける作 業(めかぶ削ぎ)だったり、洗って湯通しして塩を絡めたりと地道な作業なので すが、地域外の方に参加していただき、わかめのこと、海のことを素朴に質問頂 き答えているうちに、自分達にとっては何でもないわかめ作業が、以前に比べ楽 しくなってきているようです。 <あとがき> いつも長~くなってしまう歌津小太郎のブログの一部は、我々を気にかけてくだ さる出資者の方などからの情報発信に対するアドバイスを元に構成しています。 自分達にとっては当たり前すぎてこれまでお伝えできていなかった歌津のことに 漁師の仕事や海の旨いもののことなど、「こんなこと知りたい!」とリクエスト を頂ければ今後のブログで反映していきたいと思いますのでよろしくお願いします。 (すぐには全てに対応出来ないかもしれません。そのときはゴメンナサイ!) 最後に震災後の“教訓”ですが、最初の2週間、従業員の安否を確認できなかった ということがありまして、現在では従業員自身の携帯電話番号の他にご家族の携 帯番号も私と小太郎社長の携帯電話に登録しました。大規模災害の直後は携帯電 話がつながりにくく、かつ充電も出来るかどうか、それでも少しでも早く連絡を 取り合えるようにと思いまして…そして、3日間を耐えられる水と食料を今のう ちから備えるようにしました。私たちの場合、特に最初の3日間(72時間)がと ても深刻な状態でした…「自分の身は自分で守る。」 常日頃の心がけが、いざ という時の大きな違いになることを身をもって経験しました。 ○記事担当 千葉孝浩













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被災地からのレポート2014年3月6日 14:17

旬の「めかぶ漬」情報

2月末からめかぶ漁が始まり、橋本水産ではめかぶ作業の最盛期を迎えていますす。
今回はめかぶの作業風景とめかぶ通販を紹介します。
 
水揚げされためかぶを一つ一つ選別して 




細かく刻まれていきます。
刻まれためかぶを湯通しするとこのように変化していきます。
 
①刻まれためかぶ
 
②只今、湯通し中!
 
③鮮やかなめかぶに変身!!
 

食べ方は色々ありますが、一番のおススメは
アツアツのご飯にのせて食べるのが最高です。
また、被災地応援ファンドでは、期間限定にて新物めかぶを発売中!

【歌津小太郎 とれたて!めかぶ漬とさんま昆布巻のセット】
詳細・お申込みはこちら↓

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