- 国名:カンボジア王国
面積:181,035km2 (日本の約50%弱)
人口:約1400万人(24歳以下が60.8%を占める)
首都:プノンペン
民族:クメール人90%、ベトナム系5%、中国系1%,その他4%
言語:クメール語(公用語),仏語,英語
宗教:仏教96%,その他4%
通貨:リエル(KHR)(US ≒4,100リエル)
識字率:全体73.6%(男性84.7%,女性64.1%)
政体:立憲君主制
気候:熱帯モンスーン
乳児死亡率:54.79人/1000人中 (日本:2.79人/1000人)(2009est) (出所:CIA The World Fact)
インターネット使用者:0.5人/100人中(出所:United Nations Statistics) 
@ザワールド
- GDP:86憶3,900万ドル(US$)(2007年)
(日本は4兆3796憶2400万ドル)
(出所:United Nations Statistics)
GDP構成比:農業34.4%
サービス41.8%
工業23.8% 
1993年に新生「カンボジア王国」が誕生して以来、市場経済化と国際社会への復帰により年率平均8.6%の成長を遂げました。
しかし、多くの国民の生活水準はなお低く、3人に1人以上が1日に1ドル以下の生活を送っています。
GDP配分は、最高所得層(上位20%)がGDPの50%を得、最低所得層(下位40%)がGDPの17%を得ていますが、
貧困削減のためには所得再分配だけでは不十分であり、国内総生産の拡大が必要です。(*出所:UNICEF)
所得の低さは、人身売買やAIDS、栄養不良による低体重児の比率の高さ、ストリートチルドレンの問題も生じさせています。
また、かつて内戦が激化していた頃に国境周辺に埋められた600万個といわれる地雷は、現在も、
危険区域の標示の字が読めない人々を中心に、一部で被害を及ぼしています。
投資環境は良好と言われています。(安定した政治とマクロ経済、豊富な天然資源・労働力・土地、
WTO加盟やASEAN経済統合などによる国際市場への良好なアクセスなど)
<人びと>
クメール人・・・カンボジアの総人口の約9割を占め、政治、経済、社会の中心を成しています。
クメール人の8割以上が稲作を中心とした農業に従事しています。宗教は上座仏教を信仰しています。
ベトナム人・・・総人口の約5%を占めます。かつてポル・ポト時代には虐殺の対象となり、
現在居住しているベトナム人は1979年以降に入ってきた人々が多いそうです。
大半は、都市部での商業、修理工、建設労働者、職人、周辺河川での漁業に従事しています。
上座・大乗仏教徒の他、カオダイ教徒やキリスト教徒もいます。
華人・・・総人口の約1%を占めます。都市部やその周辺部、農村部の商業地域に集住しています。
商業、金融業、工業、運送業などにおいて国内ビジネスの中心的役割を担っています。
その他・・・約20の少数民族がカンボジアに居住しています。
- <食べ物>
食生活の基本は米です。おかずは魚が基本で、その他牛、豚、鶏、野菜など豊富な素材が組み合わされています。 タイ料理やベトナム料理に似ていますが、甘味があります。
(写真出典:Travel Blog)
- <アンコール遺跡>
世界遺産としても知られているアンコール遺跡群。今から約150年前、フランス人学者のアンリ・ムオによって発見されました。
現在のカンボジア王国の元ともなった、クメール王朝の首都の跡です。
このアンコール遺跡のうちのひとつでもあるアンコール・ワットは、カンボジアの国旗に描かれています。 アンコール・ワットは、ヒンドゥー教の神、ヴィシュヌ神を祀る寺院であると同時に、 クメール王朝の王(スーリヤヴァルマン2世)の墳墓として建設されました。
アンコール遺跡を観光する拠点となるのは、シェムリアップという町です。 北にアンコール遺跡群、東にロリュオス遺跡群、南にはトンレサップ湖があります。 トンレサップ湖は乾季と雨季で大きさが変わり、雨季には乾季の約3倍の約9,000km2にもなり、東南アジア最大の湖です。
アンコール・ワット
(写真出典:cambodiaevisa)
カンボジアは1993年に新生「カンボジア王国」が誕生するまで、植民地時代や紛争が続き、国内の情勢は整いませんでした。
1863年-1953年はフランスの植民地時代が続き、1970年にはクメール共和国が成立しました。
ポル・ポト率いるポル・ポト派(クメール・ルージュという政党の武装組織)による政権成立後、内戦が激化しました。
ポル・ポト派は中国の毛沢東主義(原始共産主義)の影響を受け、知識層を中心に虐殺を行い、
都市の無人化、市場・通貨の廃止、労農・政治以外の学校教育の廃止、宗教活動の禁止、
サハコー(人民公社)の設置と集団生活化などを断行し、カンボジアの社会システムを破壊しました。
1975年-1979年のポル・ポト時代の約3年9か月の間に、飢餓、過労、処刑等により100-200万人の死者がでたといいます。
これは、当時のカンボジアの総人口の13-29%に相当します。現在のカンボジア人口構成において、
30代以上の人口の割合が低いのはこのことに起因します。
1978年にはベトナムがカンボジアに侵攻し、内戦が泥沼化していきました。
しかし、1991年にはパリ和平協定が結ばれ戦争がようやく終結しました。
1992年、UNTACが構成され、合計2万人以上に及ぶ大規模な平和維持活動(PKO)が行われました。
1993年新生カンボジア王国誕生後、政治、治安、経済など復興へ着実に進んでいます。
新政府設立後も新政府とポル・ポト派による局地的な内戦が続いていましたが、
90年代後半、ポル・ポト派は壊滅され武力紛争は終結しました。










































